自分軸とは?自己中心ではなく他者貢献の人生。心理学の言葉も通して

皆様は、「自分軸、他人軸」という言葉を聞かれたことはありますでしょうか。

僕自身、色々な場面でこの言葉を聞きます。しかし、この言葉の意味を聴くと、人によって解答が違うから不思議に感じます。

そこで、この記事では、「自分軸、他人軸」という言葉の意味について明確にしつつ、私たちの人生にいかに活きてくるのかをお伝えいたします。

この記事を読むと、「自分軸、他人軸」という言葉の意味が理解することができます。

そして、本当の意味での自由な人生について知ることができます。

また、皆様がより良い人生を歩むためには自分軸と他人軸のどちらを大切にすべきか選ぶことができるでしょう。

「自分軸」と「自己中心」|「他人軸」ってなに?

自分軸」という言葉の定義は勘違いされやすいそうです。と言いますのも、「自分軸は自己中心」で「他人軸は他人中心」と捉えられることがあるようです。

確かに、漢字だけを見ればそのように考えられるのも無理はありませんが、自分軸と自己中心は全く別の意味です。

そして、他人軸と他人中心も全く別の考え方です。

自分軸と他人軸の意味合いとして、漢字のままに人生の軸を見てみましょう。

人生の軸が自分であるか、他人であるかが「自分軸」「他人軸」の意味合いを考える時に大切な要素になってきます。

自分軸と他人軸
  1. 自分軸(人生の軸が自分)
    →自分が主人公の人生
  2. 他人軸人生の軸が他人)
    →他人が主人公になっている人生

短くまとめるとこのように説明することができます。

短すぎてわかりづらいので「他人軸」「自分軸」について説明いたします。

【他人軸】自分の人生なのに他人が主人公になっている状態

当然のことながら、自分の人生の主人公は自分です!

しかし、他人が人生の主人公になってしまっている場合も多々あります。

たとえば、皆様は他人からの承認欲求を満たすために生きていたり、他人に嫌われることを恐れるばかりに自分の思っていることを表現できない人生を歩んではいないでしょうか。

それでは、あなたの人生でも、主人公はあなたではなく他人になってしまっています。

それを「他人軸」といいます。他人軸の人生もある意味ではラクです。

※他人に任せて他人に流される人生はラクです。

しかし、本当に自由な人生を歩んでいるとはいえないでしょう。

自分軸を確立した前向きで自由な人生を歩んでみませんか。

【自分軸】決して自分中心ではなく他人とともに生きる人生

自分軸は自己中心ではありません!!

むしろ、本当に人のために尽くすことのできる生き方だといえます。

たとえば、ボランティアをする場合、他人軸の生き方では「他人からの承認欲求」のために活動しますが、自分軸では「承認欲求は関係なく、ただ貢献したい」という思いで活動します。

承認欲求や嫌われたくない感情に縛られることのない活動こそ、真に自分が主人公の自由な生き方です。

それこそが自由な生き方だとは思いませんか?

多くの方が他者貢献しながらも、他者の目ばかりを気にしております。

これは単に承認欲求に縛られた生き方であって、決して自由な生き方とは言えませんよね。

自分が主人公である自分軸が確立した人生を身に付け、本当に自由な人生を歩みましょう。

心理学の名言が教えてくれる自分軸の生き方

ここからは、アドラー心理学の名言から自分軸の生き方について考察していきます。

アドラーの言葉

不治の病のとこにあっても、天を恨み泣き暮らすか、周囲に感謝し余生を充実させるか、それは自分で決めることができる。

皆様はこの言葉からどのような印象を受けるでしょうか。

私は「あなたの人生はあなたが決めることができる」というメッセージを強く感じました。

実は、アドラー心理学の基本的な考え方に「自己決定性」というものがあります。

最終的には自分の人生は自分で決定できるという当たり前な考え方です。

当たり前ですが、他人軸の人生を歩んでいる人は自分で人生を選択できていません。

他者の考えに揺さぶられ続け、気付けば、他者にとっていい人生を選択し、自分が主人公ではない人生になってしまいます。

これは行動の話だけではありません。そのことを、今回、アドラーは私達に教えてくれております。

命を終える瞬間まで、思考を選ぶ権利は自分自身にあります

アドラーの言葉では「不治の病のとこ」と指定されておりますから、命の長さはわからないにしろ、もう動くことのできない状況であることが想像できます。

そのような状況になっても恨みを感じていたら、私なんかはつらく感じてしまいます。

「お坊さん」という職業柄の話かも知れませんが、最期は仏様や皆様への感謝を感じ、合掌しながら命を終えていきたいものです。

誰もが必ず命を終えるのですから、この世に恨みを持つのか、感謝で命を終えていくのか、どちらがいいか明確にしておくべきでしょう。

そして、そのためにはどのような生き方をするべきなのかを選択して生きていきたいです。

今回のアドラーの言葉では、「不治の病のとこ」と指定されておりますが、「天を恨み泣き暮らすか、周囲に感謝し余生を充実させるか、それは自分で決めることができる」ことはいつでもできます。

確かに、過去の現実は変えることはできません。しかし、未来を彩るのは私達です。

私の人生の主人公はもちろん私です。

過去のトラウマに縛られる必要はありませんし、他者とのしがらみで動き出せない人生を過ごす必要もありません。

どのような未来を彩るかは自由なのですから、私が前向きになれる未来を彩ればいいのです。

アドラー心理学を学ぶことによって、お互いに幸せになる勇気の定まった自由な人生を歩みましょう!!

自分軸の人生は孤独を離れた人生でもあります

誰もが孤独から完全に離れることはできません。しかし、思考法一つで孤独という感情を感じづらくなります。

そのような魔法の思考法をアドラー次のような言葉で教えてくれております。

アドラーの言葉

人を仲間ではなく敵だと思う人は孤独になる。自己陶酔を味わう人も孤独になる。他者を排除して自分一人だけの世界を味わうのだ。

皆様はこの言葉からどのような印象を受けるでしょうか。

私たちは誰もが共同体の中で生活しております。

そして、学校でも社会でも、相手を敵だと思うことには損がたくさんあります。

まず、相手も自分のことを敵だと思うことで攻勢に出てしまうこともありますし、相手に対して被害者意識を持ってしまうこともあります。

そうではなく、「仲間」と思える人生が大切です。仲間として、一緒に何かを作り上げていければ孤独を感じることはありません。

他者の行動に被害者意識を感じずに対応することもできます。そうすれば、私の行動が変わるのは当然のことながら、他者から私への言動も変化するでしょう。

敵ではなく仲間としての意識がよりよい人間関係を結びますので大切にしたいところです。

自己陶酔を味わう人生は他者評価が中心になる人生

誰もが実感されていることだと思われますが、自己陶酔を味わう人は間違いなく孤独になります。

その理由も「他者への感謝ではない」など多くありますが、自己陶酔は自分への過大評価にもなってしまいます。

60点の能力しかないのに100点の能力があると勘違いするのは、アドラー心理学で否定している「優越コンプレックス」という考え方と同じです。

また、他者に自分の優れているところを主張する必要はありません。本当に優れていたら自然と他者が認めて評価してくれますよね。

実は、自己陶酔を味わっているうちは他人軸の人生であることも抑えておかなくてはなりません。

なぜならば、自己陶酔の考え方には他者との比較があります。

だからこそ、アドラーは最後に「他者を排除して自分一人だけの世界を味わうのだ」と仰ってます。

この部分の「他者を排除して」という言葉は「他社からの目線を気にしない、他者の評価を気にしない」という意味であり、「自分一人だけの世界を味わうのだ」とは「自分の世界を大切にしましょう」と捉えることができます。

この言葉こそ「自分軸と他人軸」という考え方そのものですよね。

他者の期待を満たすための人生ではなく、自分が主人公の自分の人生をお互いに歩ませていただきましょう。

まとめ

この記事では、「自分軸、他人軸」の意味合い自分軸の定まった生き方についてお知らせしてきました。

その中で、本当に自由な人生は自分軸の人生であることが理解することができました。

私たちは誰もが自分の人生を選択する権利があります。たとえ、他者に止められても自分軸(人生の主人公は自分自身)であることを大切にしましょう。

時には他者評価に支配されることもありますが、他者評価が中心になったら不自由です。

あなたの人生は他者に尽くすだけの人生ではありません。

他人が主人公になりそうなこともありますが、自分自身が人生の主人公である自分軸を確立しましょう。

自分軸について学べる本を紹介します