
アドラー心理学の理論は私たちに様々な気づきを与えてくれます。
本日は「全体論」についてのアドラーの言葉から掘り下げていきます。
全体論は「言い訳禁止論」とも捉えられる考え方があり、個人的に自らの姿を省みさせていただきました。
それでは、本日のアドラーの言葉を見ていきましょう。
「無意識にやってしまった」
「理性が欲望に負けて」
とは、自分や相手を欺くための言い訳でしかない
みなさまは、今回の言葉からどのような気持ちを感じられるでしょうか?
僕は、超厳しい言葉のように感じました。
アドラーに向かって言い訳したら、きっと厳しく返答されるでしょう
「無意識にやってしまった」
「理性が欲望に負けて」
今回のアドラーの言葉ですが、みなさまはこれらの言葉を使用したことはあるでしょうか。
僕自身、何度も何度も使ってきました。
特に禁酒や禁煙に失敗した時。
今はもう辞めましたが、友人と居酒屋に行った時はほぼ100%の確率で飲酒喫煙をして怒られてました。
あるいは、多くの方が連想されそうなダイエット中についつい食べてしまった時に使ってしまう言葉でもありますよね。
昔、「ダイエットは明日から〜」というCMがあったのをよく覚えております。
このような言葉を聞いた時に「そうだよね〜、そういうこともあるよね〜」と気持ちに寄り添うこともありますが、もしもアドラーに言ったらどのような反応をされるでしょうか。
アドラーはきっと寄り添わずに事実をお伝えくださると思います。
「それは言い訳じゃないの?行動そのものに目的がない?」と返されるかも知れません。
厳しい感じもありますが、アドラーの「全体論」という考えを受け取れば納得できるかも知れません。
全体論では「何をしているか?」という行動に注目します
全体論は「個人を心と身体のような諸要素の集合体ではなく、分割できない個人としてとらえる」ことです。
「心と身体」「意識と無意識」と分割して考えることがありますが、それらは分割できるものではなく、目的に向かっていると考えます。
ですので、今回のアドラーの言葉にある「無意識にやってしまった」「理性が欲望に負けて」という言い訳を使用して禁煙禁酒やダイエットに失敗したなら、元々、「タバコを吸う」「酒を飲む」「甘いものを食べる」という目的があったから行動したのだととらえます。
私たちの目的は行動を見れば明らかです。
「わかってはいるんですが…」という風に口ではどんなに言い訳していようと、行動を見れば当人の目的がわかりますよね。
そう聞くと、「言い訳できない!」と非常に厳しく感じられるかも知れません。
実際、言い訳はできないです。笑
口では自分を取り繕うことは幾らでも出来ます。
周囲の方に「あの人はいい人だなぁ」と偽りの姿を見せることも可能でしょう。
しかし、行動を見ればすべての方が化けの皮が剥がれます。
どんなにいいことを話している人であっても、行動が伴わなければ人は信頼してくれません。
全体論は、そんな自分を見つめ直す意味でも大切な考え方であります。
「言い訳できない」ではなく「私の行動」を大切に生きる
このアドラー心理学の「全体論」と「目的論(あらゆる行動には目的がある)」という基本前提を学んで、「人生は言い訳できない」ということを知らされました。
たとえば、目の前の大きな壁に挑戦する時に、どのような理由があるにしろ挑戦しなければ言い訳です。
「本当は挑戦したかったけど・・・」
という言葉を私自身も多く使ってきました。それを正しいことだとも思っていました。
しかし、どのような思考にあっても「挑戦しない(行動しない)」という目的を選んだのは私です。
そのように考えると、アドラー心理学は非常に厳しい心理学のように思われるかも知れません。しかし、一歩前に進む勇気を与えてくれる心理学とも捉えることができます。
言い訳したくなる時や、逃げたくなる時こそ、「全体論」「目的論」という考えを大切にしたいものです。