
「アドラー心理学」という言葉を聞かれたことがある方は多いだろうなと思います。
しかし、アドラー心理学の中身までは実際に勉強しないと理解することは困難ですよね。
アドラーは、人生は「3つのタスク」に立ち向かっていかなければならないことを明確にされました。
そして、3つのタスクから逃げようとする人生を送られた方を痛烈な言葉で批判されております。
今回は、アドラーの言葉を引用しながら3つのタスクについて考察していきます。
今も突き刺さるアドラーが残された痛烈な言葉
「アドラーの言葉」と聞くと難しく思われるかも知れませんが、私たちが身近に感じることができるような言葉を多く残されております。
今回の言葉は「最悪な人生」と「最高な人生」の意味を考えさせてくれる言葉でありました。
「仕事で敗北しませんでした。働かなかったからです」
「人間関係で失敗しませんでした。人の輪に入らなかったからです」
彼の人生は完全でそして最悪だった。
みなさまはこの言葉からどのような印象を受けるでしょうか。
僕は「彼の人生は完全でそして最悪だった」という言葉にアドラーの考え方が集約されているように感じました。
敗北がなく失敗がない人生は確かに完全な人生です。
人生は誰もが躓きながら歩んでいくものですので、その躓きがない人生ほどスムーズなものはないでしょう。
しかし、アドラーは「最悪だった」と述べられております。
このアドラーの言葉の意図を掘り下げていければと思っております。
3つのタスクから逃げる人生ではなく自由に立ち向かう人生を
アドラー心理学では全ての悩みは対人関係であると断定されております。そして、人生で取り組むべきタスクとして3つ挙げておられます。
※孤独さえ一人では感じることができません。私一人しかいなければ、一人で寂しくなることがありませんもんね。
1、仕事のタスク
2、交友のタスク
3、愛のタスク
「仕事→交友→愛」と解決が難しくなっていきます。
仕事は単に職場や学校の中での対人関係、交友はプライベートでの交友がある対人関係、そして愛は夫婦や家族など、一緒に住んでいる方や、恋人の対人関係になります。
なかでも、特に愛のタスクが難しい理由は言い訳できないからです。
仕事のタスクや友愛のタスクは会う場所が限られておりますが、愛のタスクだけは自分と密接している関係性なので言い訳することができません。
実際、僧侶としてお参りしていると、お子様や孫との関係で悩まれている相談を聞くことが多いです。自分のことを一番分かってて欲しい存在が自分のことをわかってくれていないのはつらいことだと感じます。
この3つのタスクを解決できれば幸せな人生を歩めるように感じないでしょうか。そのような意味合いが今回の言葉には込められております。
無難な人生ではなく有難い人生を歩みましょう!
今回のアドラーの言葉に「彼の人生は完全でそして最悪だった」とあります。
「完全」なのに「最悪」なのです。
私は、「最悪」と表現しているのは他人軸の人生とされているように感じました。
他者からの承認ばかりを考えて終わっていく人生も大切かも知れませんが、それでは命を終える時に「一体何のために生きてきたんだろう・・・」という後悔が残りそうです。それよりも、「色々なことがあったけど、本当に有難い人生でした」と合掌していける人生を歩みたいものです。
そもそも、誰もが災難や困難を避けて無難な人生を歩みますが、災難や困難があるからこそ有難い人生といえます。
「難が無い」で「無難」、「難が有る」で「有難」です。
無難な人生を歩むことも大切ですが、3つのタスクを解決して、他者と相互信頼・相互尊敬できる有難い人生を一緒に歩んでみませんか。それこそ、本当に自由な人生だと思います。
自由な人生は対人関係を避ける人生ではなく、積極的な人生
多くの方が対人関係に悩み、振り回されます。しかし、自己肯定感の定まった人生はブレません。
今の自分に悲観することなく、ありのままの自分を前向きに受け入れられる人生です。決して自己中心的ではなく、共同体の一部として他者を信頼できる人生です。
自分を大きく見せる必要もなく、無理に小さくなる必要もない人生は本当にラクです。ありのままを受けいれられているので変なプライドから離れることもできます。
そんな人生を歩むためにも、大変ですが、3つのタスクに積極的に立ち向かうことも必要でしょう。そして、お互いに有難い人生を歩みましょう。
アドラーに「最悪」ではなく「最高」と言われる人生を歩みましょう!