【秋葉原殺傷事件】自分ごとのニュース。孤独のつらさも大切にしたい

つらいニュースや悲しいニュースも自分ごととして捉えないと意味がない

皆様は2008年に秋葉原で起こった「秋葉原殺傷事件」を覚えておられるでしょうか。

加藤智大被告が2トントラックで交差点に突っ込んで、多くの方を吹き飛ばしてしまいました。

その様子を見た周囲の方が交通事故だと思って駆けつけたら、今度は駆けつけた方々に襲いかかってナイフで何人も傷つけてしまうという普通では考えられない程ありえない事件です。

全部で17人もの方が重軽症を負って、そのうち7人の方の尊い命が亡くなってしまいました。

絶対に許されることがあってはならない事件ですが、責めて終わりなら何の意味もありません。

あらゆるニュースが私がいかに生きるかを教えてくれております。

極度の孤独は私たちの精神を崩壊させます

実際に、加藤智大被告の生い立ちを取り上げるマスコミの方が多かったので調べてみると、極限の孤独を抱えた方だったのだと感じました。

加藤智大被告の母親は非常に非常に厳しいしつけをしていたそうです。

友達の家に行くことも、友達を呼ぶことも禁止だったそうです。そして恋愛も禁止だったそうです。

母親の作文指導には「10秒ルール」というものがありました。学校の課題で作文を書いたら母親に見せるのがルールでしたが、母親が「この言葉をなんで使ったの?」という質問をしてくるんです。

そして母親は「10987…」カウントダウンを始め、0になるとビンタされるんです。

母親にとっての加藤智大被告はどのような存在だったのでしょう。

僕は文章を読んだだけですが、単なる操り人形としてしか見ていなかったように思いました。

加藤智大被告が中1の時、食事中に母親が急に怒りだしたそうです。

廊下に新聞を敷き始め、その上にご飯や味噌汁などのその日の食事を全部ばらまいて「そこで食べなさい!」と言ったんです。だから泣きながら新聞紙の上に積まれた食事を食べていたのですが、その時に父も弟も黙ってて何一つ助けることがなかったそうです。

家庭内にも居場所がなかったんです。

極度の孤独は自死自殺の恐怖を忘れさせます

そして、犯行前にTwitterでつぶやいてた内容も孤独に苛まれた内容ばかりなんです。

「何かあったら悪いのは俺のせい」

「大人には評判のいい子だった。大人にはね。友達はできないよね」

多分、相談できる人は一人もいなかったのではないかと思います。

加藤智大被告の言葉

孤独感が強かった時期だった。わたしが厳しい意見を言ったのがきっかけで掲示板上での友人関係がまずくなり、人が居なくなった。掲示板は帰る場所。かなりのめり込んでいた。

自殺を思いついた。車で対向車線のトラックに正面衝突しようと。平成18年8月31日、青森県弘前市のバイパスで、と決めた。到着し、路肩の縁石にぶつけて走行不能になった。

加藤智大被告は「極度の孤独」に小さな頃からずっと悩んできた方だと思われます。

家庭内に居場所がなく、相談できる人もいない。

インターネットの掲示板上でつながりがなくなって自死を意識する。

私は想像できないですが、現代はインターネットの掲示板に居場所があるのだと感じさせられます。

加藤智大被告は犯行直前にもTwitterで犯行に関することや、孤独に関することをつぶやいていたそうです。

事件を犯すと付随して加害者家族にも被害が訪れます

秋葉原殺傷事件によって亡くなった命は、犯行場所だけではありません。

加藤智大被告の弟は加害者家族というつらさの中で自ら命を終えてしまいました。

弟は加藤智大被告の事件のせいで職を失い、引っ越しをしてもマスコミがずっと付いて回ったそうです。

職場にもマスコミが来るので、次々に職を変えて、引越しをする繰り返しだったそうです。

そんな弟さんにも彼女がいました。

弟さん、普段は飲まないお酒の力を借りて彼女さんに「加藤智大被告の弟であること」を打ち明けたそうです。

そしたら、彼女さんは、

あなたはあなただから関係ない」

そう言ってくれたそうなんです。

加害者家族のつらさを味わってきた弟さんにとって、どうしようもなくなるくらい嬉しい言葉だったと思います。

しかし、彼女の両親に結婚したく打ち明けると猛反対されたそうです。

そして彼女と揉めることも多くなって決定的な言葉を言われたって。

一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は

持ち上げてから落とされるつらさがあったそうです。

それから、自ら命を絶ちました。

「加害者」「加害者家族」の気持ちを無視してはならない

えいかいは「嫌われる勇気」を持ってこのブログを書いております。

どんな事件でも、被害者のつらさ悲しさを考えると、加害者の気持ちなんてどうでもよくなります。

それは当然のことです。

「罪を償うか、同じような苦しみを味わってほしい!」

そう感じて当たり前だと思います。そこは司法が解決してくれます。

私たちは加害者が感じてきた孤独のつらさ。

そして、

弟さんの生きる意味が何もないつらさ。

それがどれ程の事かを常に考え、人と接していくべきだと思います。