
多くの方が小さな世界を生きている現状です
私自身、松竹芸能のお笑い芸人養成コースに通っておりました。
その理由として、「お笑いが大好きだから!」というのもありますが、
「お坊さんとしての話のスキルを上げたい!」
というのが本当の理由です。
実際に話術が上達したかどうかは置いておいて、お笑い養成所に通って学べたことや感じたことがたくさんありました。
まず、私たちの人生は、誰とも変わることはできません。
全く同じ人生を歩んでいる方もいません。
誰もが違った人生の中で、違った苦悩を背負い、歯を食いしばって生きております。
僕自身も、今までの人生で様々な方と出会ってきたつもりでした。
中学・高校時代、毎日早朝から家を出て怖そうな方々にご飯を奢ってもらったり、可愛がっていただいてた時期もあります。
大学時代、同じ年代の友人たちはもちろんのこと、アルバイトでも様々な方と出会わせていただきました。
警備員として働いていた時は、様々な生き方をされてきた年配の方々にお話を聞かせていただきました。
今ではあまり使わないほうがいい言葉らしいですが、建設現場で人夫として働いていた時は、貯金や家がないのは当たり前で、明日食べるお金もない同年代の友人たちと大学時代は色々な遊びをしました。
ボランティアでも様々な方とお話させていただきました。
そして、お坊さんの世界でも、色々な方とお話させていただく機会がありました。
しかし、私の人生はそれだけなんです。
小さな私の過ごした社会の中で、たくさんの人と出会ってきていると錯覚していたんです。
誰にでも言えることかもしれませんが、 同じような人生を歩んできている方としか接していないんです。
しかし、お笑い養成所は全国から色々な方が集まっております。
共通点はただ一つです。
「お笑いが好き」
ただそれだけなんです。
初めてこのブログを見る人は強引に感じるかも知れませんが、僕は、この部分に「お笑い」と「阿弥陀如来のお救い」の共通点を感じております。
お笑いが好きになるのには理由はありません。
元々お笑いの知識があった訳ではないけど、「お笑い番組を観ていたら、気付いたら好きになっていた」というのが多くの方の境遇だと思います。
阿弥陀如来のお救いも同じです。
阿弥陀如来に対して知識があった訳ではないけど、「聴聞を続けていたら、いつの間にやら疑いが無くなっていて、阿弥陀如来のお救いをよろこぶ命になっていた」というのが浄土真宗のご信心なんです。
お笑い番組を観て笑っているように、浄土真宗の法話を聞く時に余計な知識は必要ないんです。
そのままを聞いていたら、気付いたら阿弥陀如来が好きになっています。
それがご信心です。
話が変わってきているので強引に戻します。
お笑い養成所では、一般社会では薄れつつある貪欲に求める心を思い出させてくれます。
生きることは決して甘いことではありません
多くの方が「生きていくのは甘いことではない」と思ったことはあるでしょう。
しかし、皆様は、今までの人生で「ここで成功しないと生きていけない!」と思ったことはあるでしょうか。
僕はそう思ったことはないんです。
大学の友人に借金したことや、家賃を滞納して大家に怒られたことはありますよ。
でも、大学時代は家賃と生活費が稼げなくて困っていただけですので、もし限界になったら大学辞めてアルバイト先に就職したら食っていけるって思っていました。
しかし、お笑い養成所には遠いところから裸一貫でやってきた人もおられます。
「なんとか売れてバイト生活から抜け出したいんです」という方もおられます。
アルバイト生活が長く続いて就職が困難になってしまう方も勿論おられます。
僕は「ここで踏ん張らないと生きていけない!」とは思ったことがありません。
普通に大学出て、普通に生活している僕は人生のぬるま湯に浸かっているようなものですよね。
生きていくのは甘いことではありません。
浄土真宗のみ教えを聞いても、生活がラクになることはありません。
しかし、甘くない人生を歩む私の究極のよりどころがあることが知らされます。
人生にくじけそうな時、いつでもどこでも私たちとご一緒の阿弥陀如来が支えになってくださいます。
人生は一生懸命歩まないといけません
先日、大阪でご門徒様にこう言われました。
「漫才のコンビって、養成所に入ったら選んでくれるん?」
いやいや、そんなはずありませんよね。
こちらが売れたくて通っているんですから、こちらで能力の少しでも高そうな人を勧誘しないといけません。
当たり前ですが、養成所の中身の様子を知らない人が多いのですが、「私が売れるために、私が学ぶために通っています」
最初の授業の時に、「別に来なくてもこちらからは連絡しないよ。ただし無断で欠席するなら来なくていいよ」と言われます。
それも当然のことですよね、養成所が「来てください」ってお願いしているのではなくて、私が養成所で学ばなければ能力が付かないからお金を払って行ってるんですから。
だから授業中も、生徒はみんな地べたに座って、先生は椅子に座っています。
義務教育のように先生が立って、生徒が立派な椅子に座ることはありません。
浄土真宗でも、阿弥陀如来のお救いには甘えていいですが、お聴聞は一生懸命しないと何もわかりません。
お聴聞を続けているうちに、阿弥陀如来が好きになって、
「阿弥陀如来のお救いには安心して甘えていいんだ!」
そう知らされます。
僕自身、お笑い養成所でも、浄土真宗のお聴聞する人生を感じさせていただきました。