【お坊さんとして】教えを根底に、出会いに感謝し、寄り添っていく

【森を見て木を見ず】お坊さんは尊い教えを伝えるために四苦八苦してます

全国の浄土真宗のお坊さんは阿弥陀如来さまの救いをよろこび、一人でも多くの方がよろこべる努力で四苦八苦してます。

しかし、世間からお坊さんのイメージを検索すると、マイナスなイメージの回答が出てくることがあります。

悲しいことですね・・・

お坊さんが100人いたとしましょう。

その中の99人が「お寺を中心とした拠り所になる方法」を考えていたり、「悩んでおられる方の気持ちを聞く活動」など、空き時間にお坊さんとしてできることを必死になって模索しながら実践していても、その中の1人が、偶然にも夜の街で遊んでいたら、100人全員が遊んでいるように捉えられます。

ネットで一つのマイナスイメージが投稿されれば、瞬く間に広がっていきます。炎上という言葉が流行りましたように、ネット社会ですから、致し方ありません。

お店などでも、食べログのように採点形式ならまだしも、単に、「どう思うか?」という問いかけにプラスのイメージを投稿する方は何の業界でも少ないでしょう。

それでも、「いつもお参りに来てくれるお坊さんはいい人です」という投稿を見た時、心温かな気持ちになることができます。

「自分もこれから、こういう風にもっと頑張ろう!」
「こういう工夫をしたら、法事が良きご縁の場になるかも知れない!」

そんなことを考えさせていただけます。

みなさまに、お育ていただいているんですね(^^)

実際に、お坊さんになってよかったって思うことは今でもよくあります。

お坊さんは、人生の先輩方が同じ目線で接してくださります

僕は大学生時代、日雇いも含めて、様々な場所でお仕事をさせていただいておりました。

その中でも、「解体屋」「警備員」「調理人」などは僕よりご年配の方々が多かったです。

僕はその頃(20歳頃)、相手が話していることはすべて吸収したかったので、たくさんの人生の先輩方にお話を聞いていました。

特に、「解体屋」「警備員」では、様々な職業を経験されて、人生の酸いも甘いも知り尽くしたような方が多かったので、ブログに書けないようなこともたくさん教えていただきましたし、今では恐ろしくてできないことも経験させていただきました。

そして今では、お坊さんとして活動させていただいておりますが、「お坊さんという服装」に力がありますので、みなさまが全く同じ目線で接してくださいます。

さらに、出会う人生の先輩方が、みなさま別々の職業を経験し、違った人生を歩まれております。

それぞれの人生からの学びを同じ目線で話してくださることは本当にありがたいことだと思います。

様々な仕事を経験された人生の先輩の方々が、同じ目線で接してくださる職業はあまりないでしょう。

いつも、法事の後などに車まで送ってくださり、「ありがとうございました」とか、「次もお話楽しみにしとるよ」と声をかけて頭を下げてくださるのですが、その時は申し訳ない気持ちで、相手よりさらに頭を下げなきゃ!って気持ちになります。

ってか、自然と頭が下がってくることをお参り中によく感じます。

「申し訳なさと有難さは同じことなんや」

そうやって恩師が教えてくれていたことが、今では納得です。

だからこそ、浄土真宗のお坊さんとして最低限のことをさせていただきます。

最低限のこととは、「人生の支えとなる阿弥陀さまという仏様のお救い」を伝えることです。

お坊さんは「伝える」のではなく、寄り添い、ともによろこぶ

「お坊さんとしての実践」

僕がずっと目指しているけど、いつまでもできないことです。

きっと、いのち終えるその時までできないでしょう。

僕にとっての「お坊さんとしての実践」とは、阿弥陀さまのお慈悲を伝えることです。

法話だけで伝えるのではありません。

いつも変わらぬ心で、一方的に私を支えてくれている阿弥陀さまのように、御門徒さまと接する時にも相手のことを中心に接する実践もその一つです。

つまり、決してわからないですが、相手の気持ちをわかろうと、相手の気持ちに寄り添おうという実践です。

もちろん、お経も法話も大切です。

ただ、お経を読む時には、音程だけを合わすことも大切ですが、相手の悲しい気持ちが伝わってきたら、お経を通して一緒に涙することも大切だと思います。

法話は決して、「私が伝える」ものではありません。

私が邪魔をしなければ自然と弘まるほどの阿弥陀さまのお救いであります。

でも、僕はやはり普段のやり取りの中で阿弥陀さまのお慈悲が伝わる実践ができればなぁと思います。

それは、恩師のすがたから学びました。

僕には一生できないと思いますので、一生目指します。笑

【お寺を居場所に】すべての方が笑顔になれる唯一の場所

お寺は、お坊さんの所有物ではありません。

みなさまの所有物です。

そのお寺には、実は無限の可能性があります。

なぜならば、お寺はなんでもできる場所だからです!

習い事やスクール、集い場、本当になんでもできるんです!

もしも住職がやる気がないならば、御門徒さまが住職を叩いたらいいんですよ!

また、お寺は全国のコンビニの1・5倍も数があります。

日経ビジネスオンライン「寺とコンビニ、どちらが多い?」

そのお寺すべてが「居場所」として解放したらどうなるでしょう。

孤独を抱えておられる方や、現状の生活に満足していない方にとって、非常に有意義な場所になると思います。

それはそのまま、お寺がひと工夫するだけで仏縁を伝えることにも繋がってきます。

そうして、お寺を中心に、みんなが笑顔になったら素敵じゃないでしょうか?

それが、あらゆる方への恩返しになり、阿弥陀さまのご恩に報いる実践となるでしょう。

お坊さんって、様々な方にお育ていただけるし、恵まれすぎているからこそ、そのような実践に励む生涯を送りたいと思います。