お仏壇やお墓は安心の場。個人を偲びつつ仏様の救いを聴くのに必要

お坊さんがよく聴く予想外のご相談やお悩み

お坊さんとして活動していると、驚くような仏事に関することを相談されることがあります。

というよりも、たくさん驚かされ、悲しみを感じたことがあります。

その相談内容のうちの一つを例に挙げてみましょう。

「納骨する人を選んでもいいですか?あの人を同じお墓に入れたくないんです!」

非常に多い相談内容でありますが、いつも驚きと悲しみを強く感じます。

ご門徒さまからは「こんなこと聞いていいんやろうか〜・・・」という気持ちが強く伝わってきます。

そのような時は、お坊さんとして解答を言いますが、それよりも、「故人を、どうしてもうちのお墓に入れたくない!」という気持ちや、故人への怒りの気持ちをそのまま聞かせていただきます。

いつも、お坊さんとして気持ちを受け取る大切さを実感します。

仏事の質問への解答では、相談者の安心が最も大切です

その御門徒さまは、非常に熱心に仏法を聴聞されている方でした。

ですので、おそらく、阿弥陀さまによってお浄土に生まれさせていただいたなら、この世界でのしがらみは関係ないことはもちろんご存知でした。

ですので、納骨する場所を分けても何も変わらないことを知っておりました。

それでも、「別々のところに納骨したい」という気持ちは湧いてきます。

このような人間の心からも、お墓が存在する意義について考えさせられます。

今回の場合もそうですが、初めてお墓を購入された時は「故人のため」と思われていたのですが、気付いたら、自分の都合ですべてを決めたいという「自分のため」になっております。

自分がすっきりしたいから自分の嫌いな人はお墓に入ってほしくない」という気持ちが、故人を想う気持ちよりも気付けば強くなっています。

私は、そう感じることを一概に否定する必要はないと思っております。

むしろ、そのような自分のすがたに気付かせていただくことはとても大切なことだと思っております。

愛する人を亡くし、納骨できた時に、「やっと入れたね、よかったね」と一言漏らされる声を聞くことがあります。

その時、「よかったね」という感情を、納骨している御門徒さまから感じます。

気付いたら、私たちが安心させていただいているんですね

ゆえに、私たちが落ち着いて合掌しやすいように納骨されれば結構です。

ただ、この世界でのしがらみを、故人に当てはめて私たちが親族同士で騒ぎ立てるのはいかがなものかと思います。

せっかく阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただくのですから、この世界での小さな恨みの因縁なんか、断ち切ってしまいたいものですね。

性が異なる方の納骨に関して

性の違う方の納骨についても聞かれることがありますが、何の問題もありません。

性が変わる度にお墓を買っていたら経済的にもえらいことになります。

そして何より、
お浄土では名字の区別はありませんので、どうぞご一緒に納骨なさってください。

浄土真宗では、仏さまの弟子として「釈」という名を授かります。誰もが同じですから、人間の世界のように、苗字という概念はありません。

お仏壇やお墓という場所が、皆様の拠り所になりますように

お仏壇の過去帳でも同様のことを聞かれることがございますが、これも問題はありません。

ただ、新しい家でお仏壇を買うのがもったいないからという理由で、一つの仏壇に2家系の過去帳を入れるのはやめてください。

親族の宗教的な問題で仏壇を置けなくなった家庭も存在しますが、多くの方は経済的な問題でお仏壇の購入をためらわれるようです。

その場合、立派なお仏壇を購入しなくても、「南無阿弥陀仏」の名号や絵像があれば結構ですので、お寺さんに相談ののち、自宅で簡易なお仏壇を作られてはいかがでしょうか。

高いお仏壇を買うよりも愛着が湧くかもしれませんよ。

そうなれば、手作りお仏壇が家庭内での一つの居場所となりますね。

そうして、自然と合掌できる居場所ができればと思います。

阿弥陀さまに出遇わせていただくという、浄土真宗におけるお墓とお仏壇の意義を、そうすれば感じやすいですね。

家庭のためにも、仏法に出遇うためにもお仏壇やお墓が一つの居場所になればと思うところであります。

ちなみに、お安く便利なお仏壇も多く販売されております

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