【阿弥陀如来】さまざまな呼び名のある尊い仏様
皆様は阿弥陀如来という仏様のことをなんとお呼びしておられますか?
「阿弥陀如来は阿弥陀如来じゃん!」というのが正式な答えだと思われます。しかし、阿弥陀如来という仏様は様々な呼び方がされております。
たとえば「阿弥陀如来」「仏様」「如来様」「南無阿弥陀仏」「まんまさま」「まんまんちゃん」「ナンマンダブ」。実は、これら全てが阿弥陀如来様のことであります。
私自身、先輩に「お前はなんと言っている?」と聴かれたことがありました。すぐに「阿弥陀如来です」と応えましたが、何度も「それでいいのか?」と聴かれて困っていました。
その困った様子に呆れて先輩が仰ったのが「なみだ様」でした。正直、「なんや、ただのダジャレか!」と思いましたが、今ではなみだ様という言葉を尊く感じさせていただいております。
時には涙を堪えられない出来事が襲ってくるのが人生
毎日元気に過ごしているように見せかけて、実は心の中でつらく悲しい想いを抱えておられる方が多くおられます。
「涙を抑えるのが本当につらい・・・」
「誰にもわかってもらえない・・・」
そのような気持ちを抱えることは決して悪いことではありません。むしろ正常です。
しかし、その捉え方ひとつで、受け止められるか悩み苦しむかの分岐点になります。
「人生は思い通りにならないこともあるよなぁ」と受け止めることがいつでもできればいいのですが、悩み苦しんで「なんで自分だけがこんな目になるの・・・」とつらく悲しい想いを抱えることもあります。
それは決して悪いことではありません。そのような想いを抱えるのがこの人生を生きるということであります。
思い通りにならないのが人生。だからこそ絶対的な支えが必要
僕の友人に「正直者が馬鹿を見る」という言葉が口癖になっている方がいます。その友人は本当に真面目で、嘘を付かず、一生懸命に頑張っているのですが、いつも他の方に裏切られるんです。
僕自身、その友人から悲しい言葉を聞くたびに、様々な感情が交錯します。
でも、「辛抱するのは今だけ。いずれ良くなってくる」そう自分自身に言い聞かせて頑張っている姿を見ると、少しだけ安心できます。
涙ながらに愚痴を言う友人が、前を向いて歩む姿を見ると、僕自身が安心させられます。
おそらく、このブログを読んでいる多くの方が、
「なんで私だけこんな目に合わないといけないの?」
という感情が出てくるような経験をされたことがあるでしょう。
僕自身も、何度もなんども不条理な裏切りを経験してきました。
僕も不条理な裏切りをしているのかも知れません。
それは人間関係だけではありません。思わぬトラブルに苛まれたり、災害に巻き込まれる事もあります。
いつ何が襲ってくるのかわからない人生ですから、いつ涙を流すことになるのかもわかりません。
でも、私たちは決して独りではありません。
【涙様】思い通りにならないと嘆く私より先に涙された仏様
私が涙を流す前に、私のために涙を流し、先に「私を救う」願いをおたてくださったのが阿弥陀如来であります。
阿弥陀如来が私を救うために、考えることのできないほどの時間をかけて、考えることのできないほどの他の仏さまの国々をご覧になられました。
この世に生きている限り、決して避けることのできない苦悩の私をご覧になったのでしょう。
涙を流しながら生きる私たちの姿をご覧になったのでしょう。
そんな私たちの姿をご覧になって、私たちより先に涙を流され、願いをお建てになられました。
その阿弥陀如来の願いのままに、今、私たちに至り届いている言葉が、
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
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