【無償の愛】見捨てられないという気持ちが人の心を揺るがします

現実として起こっている悲しい親子問題

楼小英(ロウ シャオイン)っていう中国の女性のことをご存知でしょうか?

楼さんは35人の道に捨てられていた子ども達を救ってきた方なんです。

日本にいたら「35人も子どもを拾うってどんな状況?」って思われるかも知れません。

しかし、中国では年間に10万人もの子どもが捨てられているそうです。

ちなみに日本でも年間に250人の子どもが捨てられております。

やむを得ない状況で子どもを捨ててしまうのだとは思うのですが、悲しい現実ですよね。

楼さんは道端に捨てられている子どもを35人救ったのですが、この実話が「無償の愛」というものを教えてくれている気がしました。

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中国という国まで動かした楼小英さんの心

僕が初めて35人の子どもを救ったってお話を聞いた時、「経済的に恵まれているからできたんだろうな」って思ってしまいました。

しかし、楼さんは決して恵まれている環境ではありませんでした。

楼さんは道に捨てられているゴミを拾い、それをリサイクルすることで何とか生計を立てていたんです。

最後に子どもを見つけたのは82歳の時にゴミ箱の中で見つけたそうですので、老いのつらさのなかで本当にご苦労を重ねた人生だったと思います。

楼さんが一人目の子どもを見つけたのは48歳の時でした。

ゴミ拾いに出かけたら、小さな女の子が道のゴミの中に埋めて捨てられていたんです。

その女の子を助けて育てていたんですけど、楼さんはこんな言葉を残しております。

「女の子が成長して行く様子を見るのが幸せでした」

楼さんには血の繋がった実の娘さんもいらっしゃいました。

娘さんを育てながら、道で拾った子どもたちも我が子のように愛してきた様子が伝わってきます。

その楼さんの元で育った子どもの一人が楼さんがどんな母親だったかを、あるテレビ局のインタビューの中で話しているんです。

「あの頃、母は何も食べることが出来ませんでした。当時、私たちはろくに食べることが出来ず、大根、かぼちゃ、それからサツマイモなどを食べていました。私たちにお腹いっぱいになるまで先に食べさせて、その後やっと母が食べます。私たち子どもが満腹になるまで食べたのを見て、母は『これで安心して自分も食べられる』と思っていたのでしょう。
12個のアメを3人の子どもに分ける時、母は何があっても均等に子どもたちに分け与えます。母は血の繋がった実の子どもがいるのですが、拾って来た子どもと分け隔てなく接していました。自分の子どもだけ良いものを着せようとか、沢山食べさせようとか、そういうことは決してしませんでした

そんな楼さんも老い、病気で入院して話すことも動くことも満足にできないほど身体が弱ってきました。

しかしそんな状態になっても子どもたちのことを気にかけていました。

病院のベッドの中から次のようなことを語っています。

「私に残された人生はあと少しです。そして私が最も望んでいることは、7歳の麒麟が学校に行くことです。もしそれが実現すれば、私の人生にもう悔いはありません」

そんな楼さんの人生が、中国で大々的に報じられると、楼さんの入院費をカンパしようという動きが生まれ、募金を募るサイトまで登場しました。

そしてついに公的機関まで動いたそうです。

麒麟くんには戸籍が無いので、小学校へ入学出来ないはずでした。

しかし今回の楼さんのニュースが中国で話題になったことで、戸籍の管理をしている地元の公的機関が、麒麟くんが入学出来るよう戸籍問題解決へと動いてくれたのです。

無償の愛が人の心を間違いなく動かします

このお話を何度も拝読しているうちに、「自分の子どもも他人の子どもも分け隔てしない」楼さんの心は感慨深いものがあります。

無意識に自分と他人とを分別して生きてしまうのが私の現実です。

「自分にとって都合の良い存在」と「自分にとって都合の悪い存在」とに分別してしまうほどの悲しい私のすがたを知らされる日々です。

しかし、楼さんには分別はありませんでした。

自分の子どもも他人の子どもも関係ない。

自分にとっての都合は関係ない。

「ただ見捨てておけない」

そんな楼さんの「無償の愛」を感じました。

楼さんの件で募金活動や公的機関など、国を動かすほどの事態になったこと自体、本当に尊いことだと思います。

楼さんの「無償の愛」に心を揺り動かされた人がたくさんおられるということですよね。

人と人は別の存在だと分別して生活しております。

しかし誰もが「無償の愛」の素晴らしさを実感しているんです。

ともに感動し合える今を生きているんです。

救う条件すらなく、ただ見捨てておけない。

何の縁がなくても救う無縁のお救いにお互いに感動できる人生を歩んでいることを実感させていただきました。