仏法を聞くご縁は人によって様々ですが共通点があります
皆様は、仏教の教えを聞いたことはありますか?
あるいは、仏教を心のよりどころにされてる方と接したことはありますか?
仏教に興味を持つ方の理由は多岐に渡ります。
「哲学的に勉強したい」「本当の人生の意味を知りたい」
そのような理由で仏教に触れる方も多いですが、身近な方のいのちの終わりのご縁を通してお仏壇に向かうようになられた方が多いように感じます。
[char no=”2″ char=”おじちゃん”]お葬式で喪主をしてから、お仏壇のことを考え出したんだよ[/char]
お参りで、そのような言葉をいただくことも多々あります。
僕も、祖母のいのちの終わりのご縁を通して、阿弥陀さまのお救いを味わわせていただきました。
祖母の死が教えてくれた多くのこと
僕は香川県出身ですが、香川県ではない地域に大好きなおばあちゃんがいました。
そのおばあちゃんのことを、小さな頃からただ不思議な人と思っていました。
と言うのも、おばあちゃんは、「阿弥陀さまがいてくれるんよ」って、いつもニコニコしながら言っている人だったんです。
本堂での朝のお念仏が祖母の日課でした。
私が小学生の頃、よく祖母にこっそり付いていって、祖母の後ろで「ナンマンダブ、ナンマンダブ」とふざけてモノマネをしていたんですけど、一回も怒られたことがありませんでした。
怒るどころか、私がお念仏称えている姿を見て、「阿弥陀さまがいてくれるんよ」って嬉しそうに声をかけてくれていたんです。
その頃は、どういう意味かまったくわからなかったので、ただ不思議に思っておりました。
祖母が亡くなる一年前には、物忘れもひどくなってました。
朝起きて、「おばあちゃん、おはよう」と声をかけたのですが、「誰?」と言われることもあり、老いのつらさを感じることも増えていきました。
しかし、その日も朝一番の本堂での「南無阿弥陀仏」のお念仏は忘れませんでした。
そんな祖母も、やがて朝一番のお参りが出来なくなる日がやってきました。
病院に入院して、いつもの笑顔も無くなり、「阿弥陀さまがいてくれるんよ」の口癖も聞こえなくなり、祖母が亡くなる日がやってきました。
祖母が亡くなった時、私は実家の香川県ではなく京都にいました。ですので、亡くなる時に立ち会えず、亡くなった実感がありませんでした。
急いで帰って遺体を見ても、その後のお通夜中も、「亡くなってしまったんだ」とは思えませんでした。
その時は、「なんで?」という何も感じられない気持ちのまま、時間だけが過ぎていく感覚でした。
お通夜が終わった後、みんな疲れ果てて自分の部屋に戻って行きました。
しかし私は、最後の夜は祖母と一緒に寝たかったので、棺の横に布団を敷いて寝ようとしたのですが、横で寝ている祖母のことが気になって、どうしても眠れませんでした。
起き上がっては、「阿弥陀さまがいてくれるんよ」という祖母の口癖を思い出しながら、棺の蓋を開けて、「阿弥陀さまがいてくれてよかったね」って伝える。
そんなことを続けているうちに、亡くなった実感とともに、悲しくて涙が止まらなくなってきました。
その時は、「阿弥陀さまはおばあちゃんといてくれてるもんね。おばあちゃんを救ってくれる阿弥陀さまがいてくれてよかったね」と、とにかく祖母に伝えたい気持ちしかありませんでした。
そのような気持ちのまま、声をかけ続けていました。
やがて夜が明けて、葬儀の時間がやってきました。
その葬儀の時にお勤めされる一つの親鸞聖人のお言葉が私の心に響いてきたんです。
本願力にあひぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の寶海みちみちて
煩腦の濁水へだてなし
祖母の葬儀中、このお言葉が私への阿弥陀さまからの言葉のように聞こえてきました。
「出会おう」としない私に「出遇って」くれている阿弥陀如来さま
祖母が本願力、つまり阿弥陀さまのおはたらきにであって「むなしくすぐることない」のではなく、阿弥陀さまのおはたらきは、今を生きている私たちに届いている。
その証拠が、私の口を通して、当たり前のように「なんまんだぶ」とお念仏が出てくることです。
祖母のいのちの終わりのご縁は悲しかったですが、そんな祖母を包み込み、そして私を包み込んでくださっている阿弥陀さまがおられることを改めて実感させていただきました。
いつ愛する人と別れていくか、そして、いつ私のいのちが終えていくかわからない人生のままが、「阿弥陀さまがいてくれるんよ」という絶対の安心に包まれた人生です。
祖母は私のことを忘れても、南無阿弥陀仏のお念仏を忘れることはありませんでした。
同じように、いずれ私も何もかも忘れてしまう日がやってくるかも知れません。
しかし、たとえ私がすべてを忘れても、決して私を忘れることのない阿弥陀さまがおられることをよろこびつつ生涯を精一杯生きたいものです。
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