【気持ちが大切】寄り添いたい気持ちを押し出すと他者を傷付けます
葬儀では、人の気持ちを無駄にしないように大切にお勤めさせていただこうと思っています。
しかし、それは時にお坊さんとして決して陥ってはならない慢心であることがあります。
他者から見た私を考えず、ただ「相手に寄り添うことが大切」と行動して、相手を傷つけることもありますよね。
お坊さんは指摘されないからこそ、他者の気持ちを大切にする意識を強く持たなければと思うところであります。
後になって葬儀を振り返ってみますと、葬儀のたびに、御門徒さまから色んなことを教えていただき、お育ていただている現実に気付かされます。
その中でも、一つの忘れられない家族葬がありました。
その時に、人のいのちが亡くなった時、どのような感情が大切なのか。
本当に大切なことを気付かされました。
【家族葬】火葬場で教えてくれた「ありがとう」の大切さ
その家族葬の参列者は3名でした。
一人の女性の方が亡くなったのですが、その三人の御子息が参列者でありました。
朝7時に電話が鳴り、臨終勤行に向かいました。
その臨終勤行で来られていたのは息子さん一人でした。
読経が終わった後、私が後ろに向くと、息子さんがお話してくださいました。
それは、このようなお話でありました。
「母は、僕のために何でもしてくれる方でした」
「母は、一度も僕を裏切ったことがない方でした」
そのような、「母は、母は」という母親が主語のお話をしてくださいました。
1時間半ほどお話してくださったのですが、あっという間のようでした。
そして、その日の夜にお通夜がありました。
お通夜では読経が終わった後、いつもなら阿弥陀さまのお話をさせていただくのですが、その日は3名の御子息様にこう尋ねました。
「御母様って、どのような方だったのですか?」
すると、
「母はこういう方でした」
ということをひたすらお話してくれました。
そのお通夜も、途中で葬儀社の方も司会の方もいなくなり、みんなで色んなことを話し合う場になりました。
その翌日に葬儀、正確には葬場勤行を勤めさせていただき、その後に火葬場でおつとめさせていただきます。
その火葬場で決して忘れられない光景がありました。
私の地元の火葬場では、ご遺体を火葬炉に収める前に、火葬場の方が故人の顔が見えるように棺の蓋をずらして、こう言います。
「それでは、最後にお別れをしてください」
その日も同様でありました。
火葬場の方が「お別れ」という言葉を使っているので、「さようなら」、「あっちでも元気でね」という言葉をかける方が多いのですが、その家族葬では違いました。
誰一人としてお別れの言葉や「さようなら」という言葉を述べることはありませんでした。
みんなで棺の周りを囲んで、一人10回ほど言ったと思います。
なんと言ったか。
「お母さん、ありがとう、ありがとう、ありがとう」
その日、火葬場の中には「ありがとう」の言葉が何度も響きました。
愛する方との死別があった時、最後に「ありがとう」と言える御遺族の方は、すっきりした表情をされている方が多いことに気付きます。
「さようなら」ではなく「ありがとう」
その大切さを思い知らされます。
命を終えた時に「ありがとう」よりも大切にしたい気持ち
浄土真宗というみ教えでは、さらに大切な心を知らされます。
「ありがとう」だけではなく、「これからもよろしくお願いします」
「あなたが阿弥陀さまのおはたらきにより、お浄土に参らせていただき、仏のさとりをひらかせていただいたならば、私が合掌しお念仏称える御縁となって、ずっと私と一緒にいてくださるんやね」
「お母さん、これからもよろしくね」
そう思える心を、浄土真宗は与えてくれます。
「ありがとう、なんまんだぶ、なんまんだぶ」
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