葬儀で大切すべきこと。葬儀社勤務での経験がある僧侶が伝えます

葬儀社で勤務したら「お坊さんとして」の気づきがたくさんありました

お坊さんとして活動しつつ、葬儀社の社員として勤めていたことがありました。

葬儀社で勤務していると、色々な方の気持ちや感情に心が揺さぶられることがあります。

長らくお坊さんとしてお葬式に出勤するのが当たり前でしたが、今はお坊さんを案内し、お坊さんのすがたを眺める役になっています。

ですので、お葬式の風景も今までとはまったく違います。本当にたくさんの気付きがあって有難いです。

「お坊さんとして」の気づきも多いですが、皆様に役に立つような気づきもたくさんあったのでここでシェア致します。

「お葬式は悲しみの場」という先入観でご遺族に接するのはやめましょう

愛する方をなくした時に悲しみの感情は自然と湧いています。

しかし、ご遺族は必ずしも悲しんでいるのではありません。

故人の言葉や笑顔を思い出しながら、穏やかで落ち着いた表情をされている方も多数おられます。

そのようなご遺族の気持ちに敏感に、ご遺族の気持ちに寄り添うことが大切です。

「故人のために力強く生きよう!」

そう思われているご遺族の方もいらっしゃいます。

悲しみの先入観で接することによって、そんなご遺族の気持ちはへし折られます。

相手の気持ちそのものを大切に、相手の気持ちに同調するような接し方を大切にしたいものです。

【弔電のマナー】言葉で気持ちに寄り添いましょう

僕は弔電を聞くたびに不思議に思うことがあります。

それは、弔電の中で「ご遺族の方々のご心痛」「悲しみは如何許りかと思われます」といった言葉がよく出てきます。

しかし、

「ご遺族の方々からそのような気持ちはまったく伝わってこなかったのになぁ」と感じることが多々あります。

もしも、ご遺族の方々が悲しみの感情を抱いていないのならば、先入観で「悲しみを抱いている」内容の弔電をあげてしまうことでご遺族の心を傷付けてしまいます。

お忙しい日々に追われ、致し方なしに弔電のテンプレートを作っておられるのならば、ご遺族がどんな気持ちを抱えていても相手の気持ちを尊重できるように配慮しなければならないのではないかと勝手に思っているところであります。

【弔電のマナー】宗教的な意味合いを正しく書きましょう

「本当に故人の所属宗派を調べているんだろうか・・・」

ついついそう思ってしまう内容の弔電がやけに多いです。

たとえば、浄土真宗の葬儀で「故人もきっと天国で・・・」といった表現は相応しくありません。

阿弥陀さまは「天国に生まれさせる」とは誓われておりません。

あらゆる命をすくいとるために「浄土」を建てられました。

「天国」という言葉の本来の意味を伝えていない僕のような僧侶側にも責任はもちろんありますが、宗教によって異なる言葉の意味を調べる必要があるように思われます。

お焼香は営業ではありません。正しい作法を優先しましょう

焼香は仏さまへのお敬いの心からされるべきものです。

ですので、焼香をする時にはまず仏さまにお礼をするのが本来の作法であります。

焼香をするために仏さまの前まで歩いて行ったのに、最初にご遺族に頭を下げるのは明らかに誤った作法であります。

仏さまに頭を下げる前に、ご遺族に向かって「お焼香させていただきます」と伝えるために頭を下げるのならば意味がわからなくもないですが、ほとんどの方が帰りにもう一度ご遺族に頭を下げております。

その度に頭を下げ返すご遺族の大変さを考えることも大切なのではないかと思うところであります。

葬儀は故人が残された仏さまのご縁でありますので、もしも葬儀に営業的要素がないならば焼香作法においても仏さまと故人を最も大切にしたいものです。

「さようなら」よりも「ありがとう」を大切にしたい

生まれてきたら死ぬ時がかならずやってきますので、多くの方が葬儀というご縁を経験します。

その葬儀というご縁が、「相手の気持ちに寄り添えない場」や「営業の場」になってしまったら勿体無いです。

ご遺族を中心とした様々な気持ちが交錯する場が葬儀というご縁です。

故人を思い出しつつ私たちの人生の糧にできる場が葬儀というご縁です。

だったら、単に「さようなら」と告げる「お別れ行事」にしてしまうのではなく、元気な時には伝えられなかった「ありがとう」と伝える場にしたいですね。

様々な方の葬儀のご縁に立ち会わせていただいておりますが、「さようなら」と伝えるご遺族の顔は暗く、「ありがとう」と伝えられるご遺族の顔は明るく感じます。

元気な時には色々なことを教えてくれて、最後の最後まで仏さまのご縁を用意してくれた故人に「ありがとう」と伝える大切さを様々な方に教えていただいております。