【座間九遺体事件】生きている意味と歩み方を見つめ直す悲しい事件

「目的」と「生きる意味」を持つだけで人生は変わります

みなさまは目的のある人生を歩まれていますか?

人生の目的は、そのまま「生きる意味」に繋がってきます。

実は、「生きる意味」が明確になっていない人生は虚しいものです。人生の方向性も定まることがありません。

それだけではなく、淡々と過ごすだけの毎日になってしまいますので、人生の楽しみすら感じづらいのです。

そのような真実を、僕は一つの悲しい事件から考えさせていただきました。

【座間九遺体事件】生きている理由がわからない孤独と虚しさ

平成29年に神奈川県座間市で9人の遺体が発見されるという事件を覚えておられるでしょうか?

犯人はTwitterで「死にたい」ってつぶやいている人に声をかけていたそうです。しかし、殺された方々の中に「本当に死にたい人はいなかった」って犯人は打ち明けています。

それでも殺害してしまう犯人の行動に理解はできません。共感することすらできません。

被害者の方々は「死にたい」気持ちを聞いてほしい、受け止めてほしいって思っただけなのかも知れません。

犯人自体、自分の父親に「生きていても意味がない」「何のために生きているのか分からない」って打ち明けていたそうです。

決して許される事件ではないのでかばいませんが、ただ責めるだけで終わってしまっては何の気づきもありません。

失われた命を決して無駄にしないためにも、この事件から野学びを考えることが大切です。

私自身、犯人の言葉を聞いた時に「生きる意味があれば事件を起こさなかったのかなぁ」と思いました。

もしも生きている意味が明確なら、人生の方向性も明確なので、犯罪に手を染めてしまう可能性も少なくなるでしょう。

それでは「生きる意味」は何なのでしょうか?

「幸せになること」が万人にとっての本当の生きる意味。気づきが人生を変える。

実は、アリストテレス、トルストイ、ソクラテスといった有名な哲学者や文学者が生きる意味は「幸せになること」と示されております。

私たちは生きている間、財産や名誉を追い求めます。無意識的に財産や名誉が手に入れば幸せになれると思い込んでいるからです。

しかし、どれだけ手に入れても決して幸せにはなれません。なぜならば、現世で手に入れたものは必ずいずれ無くなってしまう時がやってくるからです。

今度は失った時の喪失感に悩まされてしまいます。

だったらどうすれば幸せになれるのでしょうか?

実は、その答えは明確です。

求めるのではなく、「すでに幸せの中にいた」と気づくことです。

生きているということは、多くの方の支えの中にいることです。

人生、つらく悲しい気持ちから完全に避けることはできませんし、壁にぶち当たることもあります。しかし、どんな状況になってもあなたを支えてくれている存在が届いております。

それが浄土真宗で聞かせていただく阿弥陀如来という仏様のお心です。

今も、簡単に称えることができますよね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

その言葉が絶対の支えである阿弥陀如来そのものですよ。

幸せを求めず、幸せの中にいた現実のままに人生を歩ませていただきましょう。

浄土真宗の勉強ができる素敵な書物を紹介します