お坊さんは出会いに恵まれている職業でした
大学を卒業した後、福岡県で法務員(お寺の社員)としてはたらいておりました。
その頃に感じさせていただいた、「お坊さんって恵まれすぎだなぁ」その心が、今の私のお参りのスタイルになっております。
あまりにも多くの人の優しさに触れたので、今でもありがたく思い出すことがあります。
当時、私はアパートに住んでおりました。
驚くことに、アパートの周りにある家はぜんぶ御門徒さま。
すべての家に毎月お参りに行っていた訳です。
お参りに行く家行く家でこんなことを言われておりました。
「昨日は夜6時頃に帰ってきたね〜」、
「今日は朝6時からお参りに行ってたね〜」
行動すべて把握されておりました。
独りで九州に行って孤独を抱えていた僕的には有難かったです。
鬱陶しい時も、実は恵まれていることを忘れてはならない
実際、福岡県にいた時はプライバシーがない状態でした。
時には、まだ若造の僕は鬱陶しいと感じることもありました。
そんな時には大切なことを忘れていますね。
鬱陶しいと感じられるのは、たくさんの出会いがあるからです。
全くなかったら本当に孤独になります。
これはお坊さんに限らず、すべての職業、すべての境遇で同じことが言えるでしょう。
他者に過剰に関与されると疲弊することがあります。
そんな時に「一人にしておいて」と伝えたくなってきてしまうことがあります。
でも、目の前のその人が居なくなったら寂しい時もあるよ。
お互いに出会いを大切にしましょう。
福岡県ではプライバシーはなかったけど有難いことの連続でした
朝6時に家を出ようとしたら、ドアがなかなか開きません。
思いっきりドアを押したら開いたのですが、そこには大量の大根やキャベツがありました。
一人暮らしで保存できないので、アパートのベランダに干して色々な味のたくあんを作りました。
ぬか床をいただいていたので、夕飯は大量のキャベツのぬか漬けの時もありました。
体重は50キロまで落ちました。
その頃、みなさまの優しさで生きていたことを実感していたので幸せいっぱいでした。
お参りの時間が変更するとき、連絡は電話ではありませんでした。
アパートのポストに、「明日のお参りは4時以降にお願い!」みたいな手紙が入っていることもありました。
お参りに行った家で好きな食べ物を聞かれたので、「ぬか漬けが好きです」と言いました。
すると、その地域のすべての家がぬか漬けをくれるようになりました。
そんなみなさまの優しさに、頭が下がる想いになりました
今もそうです。
たくさんの人の優しさに支えられております。
だからこそ、恐ろしくなることがあります。
人の支えや出会いは「当たり前」ではありません
私より人生の先輩の方々が、当たり前のように法話を聞いてくださる。
お参りに行っても、当たり前のように大きな座布団を出してくださる。
「当たり前じゃない」
「そのことを忘れちゃいけない!」
だからこそ、恐ろしくなります。
私を救うことを第一とされている阿弥陀さまに、自然と湧いてくる感謝の気持ちが、かろうじて忘れないようにしてくれているのかも知れません。
お救いについて考えるご縁を賜り有難うございます。
みなさまの優しさに有難うございます。
その想いが、なんまんだぶと称える心持ちの大切さを教えてくれます。
なんまんだぶ。なんまんだぶ。
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