電車で席をゆずるのも一苦労。人の気持ちを大切に
都会に住んでいると電車に乗ることがよくあります。
しかも、田舎ではあまり経験できない満員電車ってやつです。
満員電車に乗っていると色々な方のマナーも見えますし楽しいですよ。
椅子を誰にも譲らないために椅子に座った途端にずっと下を向いている方もおられますし、それとは反対に、譲るために席を立って怒られている方もいます。
僕自身も高校生の時に譲ろうと席を立ったら、年配の方に「私はそんなに歳をとっていない!」って怒られたことがあります。
実は、席を譲るのも一苦労なんです。
席を譲る時にも、相手に見られたらダメですね。相手にわからないように、次の駅に着く前に立って待たないといけない。
わざわざ相手が気付くように、他の方に見えるようにゆずる方もおられますが、それも人間の汚いすがたかも知れませんね。
そのように、電車に乗っているだけで様々な人の心を感じることができます。
先日、電車の中で「親心」を感じさせていただきました。
謝らずにはいられない母親の親心
電車に乗っていたら赤ん坊を抱いたお母さんがいらっしゃいました。
しばらくすると赤ん坊が泣き出して、催した匂いがしてきたんです。
しょうがないことなのに、お母さんが電車の中に居づらそうな雰囲気を出していました。
そのお母さんが降りる駅は僕と一緒だったんです。
僕はトイレに向かっていたんですけど、そのお母さんも急いでトイレの方に向かっていったんですけど、その時にお母さん大きな声で「ゴメンね〜、ゴメンね〜」って言ってたんです。
僕、その光景を見た時に「不思議なことしよるな〜」って思いました。
だって、オムツを替える時に、オムツを汚したのは赤ん坊の方ですよね。
本来なら、赤ん坊が「度々どうもすいません、もしよろしければオムツを替えていただけませんか?」ってお願いして頼まないといけませんよね。
でも、お母さんが「ゴメンね〜」って謝ってたんです。
自発的に救わずにおれないのが仏さまの心
その時に、僕は仏様の親心を感じたんです。
仏様は自発的に私を救うはたらきそのものになってくださいました。
決して、私がお願いした訳ではありません。
私が頼む前から、私を救うために自らご苦労を重ねてくださった。
なのに、私に何も求めることはありません。
母親が「ゴメンね〜」って謝ってでもオムツを替える姿から「オギャーって泣いて苦しむこの子を放っておくことはできない!そのままのあなたを放っておくことはできない!」
今、私たちに届いている「南無阿弥陀仏」というお言葉そのものに、そんな阿弥陀如来の御心が込められているんですね。
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すべての命は別々だけど繋がっている。
そんな事実をともに感じ合えたらと思います。


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