
日本語の有難さ。漢字の成り立ちが教えてくれること
日本には、たくさんの文字があります。
ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字、挙げていけばキリがありません。
その中でも、最も学ぶことが多く、名前などで使用されることが多いのが「漢字」でしょう。
「漢字」には、一文字一文字、大切な意味と由来があります。
ゴルゴ松本さんの漢字の由来を中心とした「命の授業」など、感動させていただけますし、漢字の力について考えさせられます。
有名な由来といえば「親」という漢字についてはよく知らされていることでしょう。
親という漢字の由来。有難い?有難くない?価値観が揺れる
誰もが知っているくらい有名な由来だと思われます。
「木の上に立って見る」と書いて「親」と読みます。
「いつも見守っててくれるのが親なんだよ」
そのような、どこでも聞いたことがあるようなお話がありますよね。
しかし、私は木の上に立って見るまでが親なんだろうなと感じます。
お参りに行った先で、いろいろな言葉を聞かせていただきます。家族と最近あったことや、近所の方と話したことまで、たまに聞こえないふりをしながら聞かせていただきます。
私、よくマクドナルドで勉強するのですが、主婦ってすごいですね。
絶対しちゃダメな内容の、第三者の話をひたすらしていることもあります。
具体的な内容の話や気持ちの話が多いように思われるのですが、僧侶としてお参りさせていただくと、「親」としてのつらい気持ちを感じることがあります。
「大学行って何の連絡もよこさん」
「帰ってきても一言も話さん」
「何しよんかもわからん」
そんな会話を聞く時に感じることがあります。
それは、
「木の上に立って見る」までが親なのかなと言うことです。
つまり、離れて住んでしまったら何もわからないし、言葉を交わさないと気持ちもわからない。
親子じゃなくても同じです。
どんなに仲のいい関係であっても、どんなに信頼しあってる人同士でも、人と人は同じではありません。
家族でも、兄弟でも、すべての命は他人同士なのが真実です
すべての命が一対一です。他人同士です。
相手の気持ちが完全に分かるなんてことはありえません。
だから「寄り添う」という言葉があるのでしょう。
相手のことを全て分かっているのなら、「寄り添う」必要すらなく、相手の気持ちを落ち着かせることや、相手を慰めることができます。
でも、そんな私のことをすべてわかっておられる方がいます。
それが阿弥陀さまという仏さまです。
私を救うために、私のために涙を流し、私の代わりに修行され、南無阿弥陀仏となってはたらく仏さまになられました。
実際の親に裏切られることや、騙されることもあるでしょう。
そんな時に、阿弥陀さまだけは私と同じだということをともに感じさせていただきましょう。
そして、私の口から溢れる南無阿弥陀仏の温かさをともに感じさせていただく生涯を送らせていただきましょう。