年上と仕事してても敬わず自己中心な大学時代
僕は大学時代に色々な種類のアルバイトをしていたのですが、どこの勤務先でも忘れることのできないたくさんの思い出があります。
大学一年生の時は警備員のアルバイトをしていました。
その理由は時給1000円も貰えていたからです。
京都では飲食業などでも時給が上がってきましたが、その当時は時給1000円を超えるアルバイトはあまりなかったので、仕事内容を見ずに家からの距離だけで選びました。
スーパーや工事現場での交通整理が主な仕事だったのですが、一緒に仕事をするのは全員年上の方ばかりでした。
それにも関わらず、警備員として勤務していた頃、人生の先輩を敬う気持ちが全くない行動ばかりしていた愚かな自分だったって今になって思います。
【警備員時代】相手と一緒に仕事をしているという考えがない
警備員としてアルバイトを始めた当初、まだまだ未熟な私は
「車を止めてるのに突っ込んできやがって!」
「こっちは仕事としてやってるのに怒ってきやがって!」
そう思うことが多々ありました。
しかし半年も経つと仕事に慣れてきました。
ある程度現場を任されるようになってからは、人数が足りない時には大学の同級生や後輩を誘って仕事をするようになってきました。
新人の教育を任されることもありましたが、まだ20歳で人生についてまだ何もわかっていない僕は、仕事での後輩に乱暴な言葉遣いをすることも多々ありました。
その頃は、相手の気持ちを考えもせず、自分勝手な行動で相手を傷付けることばかりしていたと思います。
自分勝手に生きることで楽しいこともあるのかも知れません。
しかし、「相手とともに」という感情を忘れる生き方をしてしまいます。
相手への感謝の気持ちも出なくなってしまいます。
そうして自分だけの殻に閉じこもった生き方は、本当に孤独だなぁって思います。
それよりも、「相手とともに」分かち合い、相手に感謝する日々の方が笑顔になれる数も増えるでしょう。
そんな生活や仕事ができれば、毎日を明るく感じられるのではないでしょうか。
「本当に仕事ができる」っていうのは、仕事を早く正確にすることだけではなく、他人も一緒に仕事がしやすくなるようにさりげなくフォローし、お互いが楽な環境を作ることなんだって今になって思います。
阿弥陀さまっていう仏さまのお誓いに区別はありません。
すべての命を平等に照らし続けてくださっております。
「相手とともに」よろこび合えるみ教えであります。
そのことを、警備員のアルバイト中に思わせていただいた出来事がありました。
人を傷つけて、仲良くなり、大親友に・・・
上の方に書いてありますが、警備員のアルバイト中、自分勝手に相手を傷付けながら勤務しておりました。
ある日、無口で他の方ともあまり話しているのを聞いたことがない僕より8歳上の先輩の方がいました。
他の人が「あいつは対人恐怖症やと思う」って影で言っているくらい無口な先輩でした。
僕は京都から会社の車に従業員を乗せて滋賀まで行って勤務していたのですが、2日続けてその先輩を車に乗せていくことになりました。
初日、7時集合なのに来たのは7時10分。
「明日は気をつけて下さいね〜」って言っても反応なし。
2日目、また先輩は10分遅刻して、謝罪もなく後部座席に乗ろうとした瞬間、腹が立ってつい手を出してしまいました。
その時に、先輩は、「何すんねん!!」と大声で言いました。
先輩が大声を出したのすら僕は聞いたことがなかったので少し驚きましたが、その後は掴み合いです。
その日の仕事中、午後になってようやく謝罪してから、一つだけ変わったことがあります。
今まで、全く会話をしたことがなかったのですが、先輩から色々なことをお話してくるようになりました。
「この職場の人と話して無駄に疲れたくない」
「この仕事を辞めるためにこっそり就活活動をしている」
この2つの愚痴がお話の中心でしたが、僕は他の人に全く話していないことを話してくれていることが嬉しかったんです。
8歳も年下の僕と対等にお話してくれていることが嬉しかったんです。
僕が手を出したのは人として最低な行動です。
でも、それがキッカケで、お話してくれるようになり、新しい就職が決まった時は一緒によろこぶことができました。
なか卯って牛丼屋で缶ビールを飲んでお祝いしました。
僕は、その先輩とよろこんでいた時に、「相手とともに」よろこべる尊さを実感させていただきました。
本当によろこび合える時に、年齢は関係ないことも教えていただきました。
僕みたいな若僧が言うのはおかしな話ですが、阿弥陀さまのお救いは「老少不定」であります。
つまり、老人も少年も、年齢は何の関係もありません。
どのような私であっても関係ありません。
すべての命を見捨てることなく、南無阿弥陀仏となってはたらき通しであります。
すべての命に届いているお救いなのですから、自分一人の殻に閉じこもってよろこぶのではなく、「相手とともに」よろこび合える今を大切にしたいものです。
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