浄土真宗で聞く阿弥陀如来の姿から実感したこと
皆様は、お仏壇やお寺で阿弥陀さまのお姿を拝見する時に、「ありがたいことでございます!!」と感じられることはありますか?
僕はお寺で生まれ育ちましたから、小さな頃から当然のように、
「ありがたいことです。こちらの仏様がおられるから、僕は生きていけるんだ!本当にありがたいことです。涙が止まりません。なんまんだぶ、なんまんだぶ」
と、毎日毎日、思ったことはありませんでした。
でも、浄土真宗が「自分にとって必要な教え」だと気付き、勉強をして、お寺の本堂にある阿弥陀さまの木像からも「私たちを見捨てない仏様なんだ!」ということを味わうことができることに気付けました。
※お寺の木像が気になる方は、お寺にお参りしてください
今回のブログでは、阿弥陀さまのお姿にスポットを当ててつぶやいていきます。
【阿弥陀如来のお姿】子供目線を知った子供会での思い出
実は、阿弥陀さまという仏様は色も形もない私たちを救うはたらきそのものです。
色も形もないので私たちがお礼を申し上げる対象がありませんので、お釈迦様の姿を阿弥陀さまの絵像や木像として崇めております。
といった、説明のような話はツマラナイのでここではつぶやきませんのでご了承ください。
阿弥陀さまのお姿についてつぶやく前に、少しだけ思い出話をします。
僕自身、初めて阿弥陀さまの木像をジ〜ッと見たのは大学生になってからでした。
僕はお寺で生まれ育ったのですが、お寺の本堂に入った記憶もあまりありませんでした。
そんな僕も、大学生になって、仏教の勉強をしたり子ども会をする部活に入って、初めて「阿弥陀さま、阿弥陀如来」と言葉を覚えました。
特に、子ども会中に、子ども達と一緒にジーッと阿弥陀さまを見つめて、阿弥陀さまのお姿について考え、勉強するようになっていきました。
大学4年生になった時には、阿弥陀さまの姿の意味もある程度わかっていたので、調子に乗って先生役として子ども会に参加していたんです。
ある子ども会の時に、子ども達に内陣に入ってきてもらいました。
内陣は、お寺の本堂の一段高い場所のことです。お寺での法要の際にお坊さん達がよく内陣でお勤めしております。ぜひお寺にお参りに行ったらみてください。
内陣に入ってきてもらった理由は、子ども達に阿弥陀さまのお姿について調子に乗って教えるためです。
阿弥陀如来の手の形も救いの象徴でした
内陣に入ってきた子ども達に、「阿弥陀さまってどんな姿してる?」って尋ねました。
そうしたら、みんな一斉に阿弥陀さまの手の形を真似しだしました。
だから赤澤は調子に乗って言いました。
「この阿弥陀さまの手の形は、みなさんへのメッセージなんですよ~!」
そしたら子供たちが言ってくれたんですよ~。
「阿弥陀如来お金が欲しいんや!お金が欲しいんや!」って。
焦って「違う違う」って言いましたが、この手の形がお金を意味していると今の時代の子ども達は知っていることに驚きました。
※少しだけ豆知識ですけど、海外でこの形をしたら、肛門の意味があったり、相手を侮辱する意味があるそうです。もし皆様がこの手の形をしている時に海外の方が通ったら、スグに止めるようにしてくださいね。
子ども会の話に戻ります。
この手の形がお金じゃないと伝えたら、今度は何の形と言ったと思われますか?
子ども達は「オッケー」の形と言ってくれました。「オッケー」って、確かに間違いじゃないです。
この手の形を浄土真宗では摂取不捨印と言います。
私たちの命全てを摂取して捨てないよ。決して見捨てないよ。どんなあなたであっても関係ない。どんな私であっても「オッケー」と私とご一緒なのが阿弥陀さまなんです。
その後に子ども達が阿弥陀さまを横から見て驚愕していました。
阿弥陀如来のお立ち姿も救いの象徴でした
「この阿弥陀さま倒れそうになっとる!」
子ども達がそう言ってたんです。
実は、阿弥陀さまの木像を横から見ると、前に傾いております。
※お寺の住職に見せてもらってくださいね
僕は最初に見たときには設計ミスかと思いましたが、有難い救いの姿だと教えていただきました。
目の前に苦しんでいる人がいた時に、私たちは座っておけないですよね。すぐにでも助けに行きたい!放っておけない!そんな姿が前かがみになっている阿弥陀さまのお姿なんです。
手の形が摂取不捨だと申しましたが、どこまでも追いかけて、どこまでも私と一緒の仏様だってことを、この前かがみの阿弥陀さまからも思わせていただくことであります。