お葬式は悲しみの儀式ではありません。別れではなく感謝を大切に

お葬式は「別れの儀式」ではなく「感謝の儀式」でした

葬儀(お葬式)に参列すると、葬儀社の司会者から別れを連想させる言葉がとても多く感じます。

確かに、葬儀が終わり、ご遺体を火葬したら身体は無くなってしまいます。

見た目は「別れ」です。

それは事実でありますが、ご遺体に向かって「さようなら」と言葉をかける親族を見ると悲しい気持ちになってきます。

愛する方のいのちを失う時、悲しみの気持ちは自然と湧き上がってきます。

「もう、お話しすることができない」

「もう、あの笑顔を見られない」

そのような感情が湧いてくるのはごく自然なことでありますが、葬儀は「さようなら」と悲しむ「お別れ会」ではありません。

葬儀を執り行うことには大切な意味があります。

伝統仏教

浄土真宗、日蓮宗を除き日本の伝統仏教においては、葬儀は死者に対する授戒成仏が主たる意味を持つ。つまり、死者を仏弟子となるべく発心した者とみなし、戒を授け成仏させるための儀式である。


日蓮宗

日蓮宗では法華経を受持すること自体がすでに戒を保つことであるとして死後あらためて受戒を行わないが、地域によっては通夜の際に受戒作法を行う場合もある。


浄土真宗

浄土真宗では教義上、無戒のため授戒はなく、仏徳を讃嘆し、故人を偲びつつ報謝のまことをささげる儀式となる。

葬儀 – Wikipediaより引用

このような意味があるのですが、「お別れ会」を意味する要素がないことは明らかでしょう。

「告別式」という名称は仏教的要素ではなく、私たちの気持ちを整理させるために生じた言葉と捉えることができます。

つまり、葬儀は「別れを告げる儀式」ではありません。そして、「告別式」という言葉で愛する方を亡くした苦悩を整理する大切さを知らされます。

お葬式では「さようなら」ではなく「ありがとう」を大切に

葬儀の意味は上に挙げた通りですが、

「さようなら」ではなく「ありがとう」

という気持ちを大切にできればと思います。

「ありがとう」という言葉にも、色々な意味があります。

生きている時に色々なことを教えてくれてありがとう

人との出会いを通して、人間は成長してゆきます。

亡くなられた方が教えてくれたことを思い出すのも大切なことです。

単に悲しむだけではなく、亡くなられた方のいのちを無駄にしないために、生きている間に教えてくれたことを人生の糧とさせていただくべきだと思います。

ご遺体になって命が終えていくことを教えてくれてありがとう

「教えてくれたこと」といえば、亡くなられた方との関わりの中で教えてくれたことを考えてしまいます。

しかし葬儀中も、私たちが普段の生活で忘れている大切なことを教えてくれています。

それは、私たちのいのちも必ず終えていくということ。

亡くなられた方が教えてくれている経験と、いのちが終える時にも教えてくれているいのちの儚さ。

決して無駄にしないために、「教えてくれてありがとう」という心持ちを大切にしたいものです。

普通なら聴けない仏様のご縁に遇わせてくれてありがとう

浄土真宗での葬儀とは、阿弥陀さまに出遇うご縁であります。

忙しい毎日を送る私たちはなかなかお仏壇に足が向きません。

阿弥陀さまのお話を聞こうという心もなかなか湧いてきません。

そんな私たちが、みんなで一緒に仏様の方に向いている時が葬儀中であります。

亡くなられた方は阿弥陀さまのおはたらきによって仏のいのちを賜ります。

そして葬儀のご縁を通して、阿弥陀さまのおはたらきは今を生きる私たちにも届いていることを知らされます。

亡くなられた方のいのちを無駄にしないために、阿弥陀さまのご縁に出遇わせていただいた感謝のままに「ありがとう」と最後に伝えたいですね。

そのような心を与えてくれるのが浄土真宗の教えです。