【夜回り先生】多くの子ども達を受け入れてきた先生
みなさまは「夜回り先生」と呼ばれることが多かった水谷修先生ってご存知でしょうか?
多くの子ども達を救う生涯を歩まれた学校の先生です。
僕は水谷修先生の言動から、「受け入れてくれる存在がいることが安心につながるんだ!」そう強く感じました。
苦悩の絶えない私たちの人生を支えてくれる言動でもあります。
僕自身が感動したので、そのままブログにしてみました。
「救う」のではなく「気づき」を与える
水谷先生は、元々は定時制の高校の教師だったそうです。
学校の授業が終わった後に、夜遅くまで街中にいる自分の生徒を帰らせるために夜回りを始め、そのうち、自分の生徒以外にも声をかけ、夜回り先生と呼ばれるようになったそうです。
先生に出会えて薬をやめて更生できた方もたくさんおられ、先生に感謝の言葉を言っている方も多いんです。
僕にとって印象的だった先生の言葉があります。
それは撮影でインタビュアーの方が、
「今までたくさんの方が先生にであって救われたって思ってるんですね」
って聞いた時、
私は誰一人として救っていない。子供達が気付いただけ
そう返事をされました。
この水谷先生の返答から、本当の意味で人を救うことはできないことを実感しました。
人が気付くように手助けはできます。しかし、最終的に気付いて動くのは相手の問題です。
「自分のおかげで助かった」
そう思った瞬間に、人としての傲慢が出ております。
そんな姿勢で人と接することが決してないように改めて感じさせていただくことであります。
「いいんだよ」の一言で居場所を確立できる
水谷先生は「夜回り先生」と呼ばれることが多かったですが、その他にも呼ばれていたあだ名があります。
それは「いいんだよ水谷」です。
子ども達に「いいんだよ」と言うのが口解せで、特に自分の過去の過ちを責めてしまう子供に「過去のことはいいんだよ」って声をかけていたそうなんです。
そして、子ども達が「いいんだよ水谷」と言っていたんです。
「いいんだよ」って言う言葉は、大人に責められている子供への承認だと感じました。
他人に責められ、自分自身でも責めてしまう。
そんな子ども達を受け入れる気持ちが「いいんだよ」という言葉に込められています。
テレビの中で、このような言葉をおっしゃっておりました。
上司は部下を傷つけて
大人は子供と弱い人を傷つける
子供は誰も傷つけられないから自分を傷つけたり社会に向かう
だから怒るのではなく「いいんだよ」と大人に思って欲しい
特に、受け入れてもらえずに孤独を感じるのが現代です。
だからこそ、「いいんだよ」と相手を受け入れ、居場所があることを伝える大切さを感じます。
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