物質の価値は人の価値観によっても変化します
物質の本当の価値は人によって違います。
それぞれの方によっての捉え方や思い入れが違うので当然のことです。
たとえば、お金の話ですが、みなさまは十円玉と五円玉はどちらの方が価値があると思われますか?
普通に考えれば五百円玉の方が価値があります。
五百円玉があれば十円玉が50枚も手に入るので当然のことです。
しかし、「十円玉の方が価値がある」と答えた少女のお話があります。
そのお話を拝読させていただくと、物質そのものの価値よりも、気持ちのほうがずっと大切なのだと気付かされます。
【十円玉の価値】本当に大切なことを教えてくれる少女
その少女は、生まれながら知的障害者でした。
幼稚園は近所の子供たちと一緒に通っていましたが、小学校に上がるとちょくちょく学校を休むようになりました。
一年生が終わる頃には、全く学校へ行かなくなってしまったそうです。
二年生になっても、三年生になってもその子は、学校に行こうとはしませんでした。
そして四年生に上がる頃、父親と母親が話し合って、養護学校に預ける事にしました。
養護学校には寮のようなものがあり、家に帰る事は出来なかったんです。
四年生で入ったその子は、一年生の学習から始めなければなりませんでした。
専門の先生が、主要教科を一対一で丁寧に教えて行きました。
その日に習った新しい事を、毎日毎日、その子は母親に電話で報告していました。
ほんの少しずつではありましたが、一年間でその子は沢山の事を学び、覚えて行きました。
ある日の事です。
その子をずっと教えていた先生が、算数を教えようとしてお金の問題を出しました。
「ここに、五百円玉、百円玉、十円玉、三つのお金があります。どのお金が、一番大きなお金ですか?」
と、その子に質問しました。するとその子は、
「十円玉」
と答えるのです。先生は、
「五百円なのよ」
と教えましたが、同じ問題を繰り返しても、どうしてもその子は
「十円玉」
と答えてしまうのです。
何度繰り返しても、やはり答えは十円玉だったので、先生は、
「五百円玉と百円玉と十円玉では、五百円玉が一番沢山の物が買えるのよ。だから、一番大きいのは五百円玉でしょ?」
と言うのですが、その子はどうしても違う、十円玉だと言うので、先生は
「それじゃ、十円玉の方が大きいと思う訳を言ってごらん」
と言ったそうです。
するとその子は、
「十円玉は、電話が出来るお金。電話をするとお母さんの声が聞けるの!」
と話したそうです。
一般的な価値観では、本当の価値を知ることはできません。
一見、小さな価値のものであっても、気持ち次第では最も大きな価値となります。
私は、浄土真宗での阿弥陀如来という仏さまの救いでもそのことを感じることがあります。
南無阿弥陀仏ひとつに全ての価値が込められている
浄土真宗は南無阿弥陀仏ひとつの救いと表現されることがあります。
仏教には多くの修行がありますが、それらの修行の中でも南無阿弥陀仏ひとつを選んだのは、実は人間ではありません。
南無阿弥陀仏と響き、すべての命を救う仏になることをお誓いになられたのが阿弥陀如来です。
人間の価値観では、厳しい修行の方が価値があるかのように思われるかもしれません。
しかし、私たちの常識では計り知ることができないのが阿弥陀如来のお救いです。
その阿弥陀如来が南無阿弥陀仏ひとつでお救いくださるのですから、疑いを挟む余地すらありませんよね。
今回の「十円玉の価値」のお話からも、それほどのお救いの尊さを感じさせていただくことであります。
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