三重苦を生きたヘレンケラーが讃えられた唯一の日本人
「視えず聴こえず話せず」という三重苦を背負いながらも、障害者の支援活動に尽力されたヘレンケラーが「私より不幸な人、そして、私より偉大な人」と讃えられた日本人をご存知でしょうか。
中村久子さんという方です。
私自身、中村久子さんの言葉が収められている「こころの手足」という本を何度も拝読しております。
その度に、生きる元気が湧いてくるよう不思議な感覚になります。
この本の言葉一つ一つ、中村久子さんの言葉の一つ一つが私たちに「生きている尊さ」を教えてくれているようなんです。全てに感謝できる人生の尊さを教えてくれているように感じられました。
とはいっても、中村久子さんの人生は、普通では耐えられないほどのつらさ悲しさのある人生でありました。
想像を絶する苦悩を抱え生きられた中村久子さん
中村久子さんは、2歳の時に少し残酷な表現ですが病気で手首が落ちてしまいました。
手首だけに終わらずに両手首と両足首が落ちてしまったんです。
もしも、皆様が物心ついた時に両手足がなかったらどう思われるでしょうか。
中村久子さんは4歳の時まで「いずれ手足が生えてくる」って思っていたそうなんです。
そうですよね。他の子にあって自分にはないんですもん。他の子と同じ身体になると思いますよね。
でも、落ちてしまった自分の手足を見せられて絶望してしまうんです。
「自分には手と足が生えてこないんだ!他の子と違って手足がない人生を生きなくちゃいけないんだ!」
その時の中村久子さんのつらさは想像すらできません。
本の中で他の子たちが下駄をカランコロン音を鳴らして歩いてるのが羨ましかったと記されております。
みんなが普通にできていることができないのは非常につらいことです。
僕だったら、誰かを責めてしまうかも知れない。八つ当たりで暴れてしまうかも知れない。そう感じました
そんなつらさを抱えながらも、働かないと生きていくことができません。
だからお母さんは久子さんが生活できるように厳しく厳しくしつけをして、文字の書き方などを教えたそうなんです。
お母さんの必死のしつけによって、久子さんは働くことができたのですが、その仕事は久子さんにとってはつらかったそうです。
どのような仕事だったか。
19歳の時に見世物芸人としてはたらき始めたんです。
中村久子さんの病気に苦しんだのが亡くなったお父さんでした。
そのお父さんに申し訳なくて見世物小屋には行きたくなかったそうです。
見世物小屋では手足がないから「だるま娘」っていう芸名だったんです。その芸名も嫌だったそうです。
苦しんできた自分の姿が芸名にさせられるんですから、本当に嫌だったと思います。
でも、僕は久子さんの晩年の言葉は、障害への苦しみではありませんでした。むしろ、苦しみとは正反対の様な言葉を残されております。
中村久子さんが残された生きる勇気を与えてくれる言葉
中村久子さんは多くの言葉を残されましたが、特に衝撃を受けた言葉があります。
ここまで自分を育ててくれたのは、両手両足のない自分の身体なのだ
確かなことは、人は生かされていること
人生に絶望なし 如何なる人生にも 決して絶望はない
僕はこの言葉が大好きですし、この言葉を拝見する度に僕自身が恥ずかしくなります。
中村久子さんほどの方が「人生に絶望なし」と言っているのに、ちょっと人生につまづいただけでクヨクヨしている自分はどれほど小さいんだろう・・・
そう感じます。
そして、この「人生に絶望なし」という言葉が元気を与えてくれるんです。いつでも人生って立ち直れるんだ!って、本当に人生に行き詰まった時に思い出したいですよね。
久子さん、約30年間、見世物小屋で見世物芸人としてはたらいておりましたが、47歳の時に芸人を辞めて72歳で命を終えるまで全国各地で講演活動をして色々な人を元気づける生涯を送られました。
そして、自分の命を終える時には、今後の研究に役立つ様にと、「自分の遺体を検死して」って娘さんに言い残して命を終えていったんです。
手足のない自分の身体にすら感謝できる前向きな生涯だったんです。
浄土真宗の救いが中村久子さんの支えでした
「人生に絶望なし」と講演活動を通して、人々に元気を与えた中村久子さんにとって、主人や娘さんなどの支えは大きかったのは間違いありません。
しかし、それだけではありません。
人の支えだけではなく、浄土真宗という教えが中村久子さんの支えになってました。
書物の中でも、浄土真宗の本の言葉を多く引用されております。
そして、このような歌を残されております。
手はなくも 足はなくとも み仏の
慈悲にくるまる 身は安きかな
手もないし、足もないけど、私の体はそのまま阿弥陀如来が包んでくれているから安心できることを歌われております。
中村久子さんを支えていたのは「阿弥陀如来が包んでいてくれていること」だったんです。
どんな境遇になっても、阿弥陀如来のお慈悲はいつも私を包んでくれているという安心を感じる人生だったんです。
しかし、手足がなくて一つだけ不憫に思っていたことがありました。そのことをこう歌われてます。
拝む手のなき我は悲しき
手を合わせて、仏様にお礼を言えなかったことだけが不憫に感じておられました。
[char no=”1″ char=”えいかい”]阿弥陀如来のお救いがあるから「人生に絶望なし」って生きることができる。絶対の支えを感じる人生を歩むことができる。辛く悲しい人生も、有難い手を合わせたい人生に変えてくれるのが浄土真宗なんだ[/char]
中村久子さんの人生が、時代を超えてそう教えてくれているようであります。
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