
お釈迦さまが今を生きる私のすがたをご存知だったような経典の言葉
浄土真宗とは、『仏説無量寿経』という経典のみ教えです。
そこには、阿弥陀如来のお救いが説かれております。
そして、阿弥陀如来が放っておけなかった私のすがたが説かれております。
その内容は、2500年前に説かれたと思えないほど今を生きる私たちが共感できる内容ばかりであります。
仏のたまはく、「その四つの悪とは、世間の人民、善を修せんと念はず、うたたあひ教令してともに衆悪をなす。両舌・悪口・妄言・綺語、讒賊闘乱す。
(中略)
尊貴自大にしておのれに道ありと謂ひ、横に威勢を行じて人を侵易し、みづから知ることあたはず。悪をなして恥づることなし。みづから強健なるをもつて、人の敬難せんことを欲へり。
第四の悪とは次のようであります。
世間の人々は善い行いをしようとせず、互いに次々と人をそそのかして、さまざまな悪を犯しています。二枚舌を使い、人の悪口をいい、嘘をつき、言葉を飾りへつらって、人を傷つけ争いを起こすのであります。
(中略)
自分自身は尊大に構えて、自分ひとりが正しいと思い、むやみに威張って人を侮り、自分の誤りを知らずに悪を犯して恥じることがありません。また自分の力を誇って、人が敬い恐れることを望むというありさまであります。
悪口や嘘ばかり出る口から感謝の言葉が溢れる尊さを生きる
私たちは、感謝の気持ちを持つ大切さを教えられて、ようやく「ありがとう」という言葉を出すことができます。
様々な方に支えられているという事実も、誰かに教えていただかないと実感することはできません。
私の心から生じたものではなく、相手の優しさによって湧いて出てくる気持ちであります。
だから、感謝の気持ちを持って、合掌しながら生きるって素晴らしいことなんですね。
人の優しさを感じられる生き方は、自然と心が安らぐ生き方でもあります。
しかし、誰もが、人の優しさを感じられる心安らぐ素晴らしい生き方をできる訳ではありません。
感謝の気持ちは教えていただかないと湧いて出ませんが、誰かを傷つける心は誰にも教えてもらわなくても、自然と持っているのが人間であります。
そんな私の欲望のままに生きていたら、感謝の気持ちは湧いてきません。
「ありがとう」という言葉は出てきません。
『仏説無量寿経』には次のように示されております。
つまり、私の口からは、「誰かを傷つける嘘」「誰を悪くいう悪口」「でまかせである妄言」「自分をよく見せる綺語」ばかりか出てくるのであって、当たり前のように人を傷つけ、人と争いを続けてしまうのであります。
誰からも教えてもらったことがなくても、自分を守るために人を傷つけることはできるんですね。
人生を振り返って見ますと、自分からピンチに陥ろうとしたことは一回もありません。
嘘やでまかせの言葉を発してしまい、自分からピンチに陥ったことは、数えられないほどあります。
そういう性根を抱えて生きているのだと、本当に思い知らされるところであります。
そんな私から、感謝の気持ちが湧いてくるって、本当はありえないくらい尊いことなんですね。
それほど、あらゆる方々に支えられ、優しさを賜って生きているのだと知らされます。
感謝の気持ちが自然と頭の下がってくる私へと育ててくれます
『仏説無量寿経』には次のように説かれております。
自分の価値ばかりに目を向け、自分の尊さを主張してしまう人間の心を説かれております。
人から敬われるような人間になろうとしているのが私のすがたなんだと、仏様のお説教から知らされます。
そのような心は、自分を大きくしてしまっている心です。
決して感謝する心ではありません。
感謝されることを「当たり前」と勘違いしている心であります。
「ありがとう」は出てきません。
人に支えられていることを知らされ、「相手の大きさ」に気づいた時、「自分の小ささ」も同時に知らされます。
そうして、自然と人様に対して頭が下がってくる想いが育まれます。
その想いは、相手に対する感謝の気持ちに他ならないでしょう。
私は浄土真宗のみ教えを通して、そのことを知らされました。
本能的に「悪口」ばかりの私の口から「南無阿弥陀仏」が出る現実
私を見捨てない阿弥陀如来のお心は、どんなに努力して返そうとしても返しきれません。
どこにいても、何をしてても、逃げ回っていても、私を見捨てないのが阿弥陀如来であります。
「悪口」が大好きな私の口をこじ開けて「南無阿弥陀仏」という声の仏様となって私とご一緒くださる阿弥陀如来であります。
そんな阿弥陀如来のお救いの尊さを知らされた時、周囲の方々の支えも知らされていきました。
私はいのちを賜り生活しているという事実そのものが、あらゆる方々の支えであるという事実そのものでした。
なんで「悪口」しか出ない口から「ありがとう」と言っているんだろう・・・
そんなことを真剣に考えるようになりました。
その答えはたった一つでした。
人の優しさが、私の口から「ありがとう」と出させてくれていたんですね。
「ありがとう」が言える環境を恵まれていることをお互いによろこべる心安らかな生涯を送らせていただきましょう。