
毎年、3月と9月になるとお彼岸の時期がやってまいります。
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉が有名なので3月と9月を思い浮かべる方も多いでしょう。
しかし、お盆とは違い、休みになる企業も少なく、お彼岸は重要視されていないですよね。
仏教的にはお彼岸も非常に大切な時期なので、僧侶としてはお彼岸も大切にしていただければと思っております。
そこで、この記事では、皆様がお彼岸を大切にしていただけるように、お彼岸の意味合いについてお伝えいたします。
この記事を読むことによって、お彼岸の意味が明確になるので、お彼岸にもお盆の同じようにご先祖様を偲ぶ習慣が芽生えることでしょう。
3月と9月は太陽が真西に沈む。ご先祖様を想う大切なご縁
3月と9月に訪れるお彼岸は昼と夜の長さが同じ時期でありますので、太陽が真西に沈む時期です。
沈んでゆく太陽の方に「私たちが生まれさせていただく西方極楽浄土があるんだ!」と思いとらせていただくのがお彼岸の習わしでありました。
しかし、時代の変化とともにお彼岸の習わしも先祖供養へと変化してきました。
西方極楽浄土という「彼岸を想う」ことは「先祖を想う」ことだと捉える方が多かったからかも知れません。
実際に、お彼岸のご縁でお参りさせていただく際、故人さまの生まれられた彼岸として考えられている方が非常に多いです。
生前のご先祖さまを偲びつつ、彼岸を想うのは尊いことですよね。
彼岸を想いながら「私もいずれ命を終えていくけど、その時に胸を張れるように精一杯生きるね」とご先祖さまを想わせていただくのお尊い考え方です。
そのような気持ちや、ご先祖さまへの感謝の気持ちが私達の生活の後押しをしてくれますよね。
ご先祖さまへの想いが大切なのは大前提として、浄土真宗ではお彼岸を通して阿弥陀如来の救いを味わわせていただくことが最も大切です。
【浄土真宗のお彼岸】阿弥陀如来に導かれるままお浄土へ向かう
浄土真宗本願寺派では、お彼岸について次のように示されております。
お彼岸
彼岸とは、念仏の教えをいただいたものが、いのち終えて生まれていくさとりの世界。仏となった懐かしい方々がおられる、阿弥陀如来の西方浄土のことである。
善導大師はお示しになる。
西の岸の上に人ありて喚ばひていはくなんぢ一心正念にしてただちに来れわれよくなんぢを護らん
阿弥陀如来は、「必ず救う、われにまかせよ」と、西に岸よりよびかけておられる。如来のよび声は、南無阿弥陀仏の名号となって、今この私に届いている。如来に抱かれ、先に浄土へ生まれた方々に導かれて、彼岸へと続くただ一つの道、念仏の道を歩むのである。
ここで善導大師が示された「西の岸の上に人ありて喚ばひていはくなんぢ一心正念にしてただちに来れわれよくなんぢを護らん」という願いのままに南無阿弥陀仏と呼び続けておられるのが阿弥陀如来の救いであります。
私自身、この言葉を「人生、色々なことがあるけど、お前に命の行方は私が引き受けた!」という願いであると受け取っております。
人生、誰もがつまづく事や恥をかく事があります。そして、思い通りにならないこの人生では、いつ何が襲ってくるかもわかりません。明日の命すら保障されていないのが私達の命の真実であります。
そのような私達の命に「必ず浄土へ生まれ、仏になる命」であるという尊い意味を阿弥陀如来は与えてくれました。
阿弥陀如来のお救いのもとだからこそ誰一人として空しく終わっていくことはありません。
阿弥陀如来の願いとはたらきのままが、今、南無阿弥陀仏となっていたり届いています。
お彼岸のご縁を通して私たちの口を通して出てくる南無阿弥陀仏のありがたさを味わわせていただきたいものです。
お彼岸もお盆と同様に勤めたい。お墓参りも大切にしたいですね
一般的にお盆は仕事が休みになってもお彼岸は休みになりませんので、お彼岸は特別な日だと捉えられることが少ないです。
「今日はお彼岸で親族が集まるので仕事休ませてください!」
職場でそう言うと、呆れられるか怒られますよね。時期が近い影響もありそうですが、お盆のようにお彼岸が重要視されることは難しいのかも知れません。
しかし、お盆もお彼岸も同様に大切な時期です。
お盆は故人を偲びつつ阿弥陀如来のお救いを讃えるご縁であり、お彼岸はお浄土を想いつつ阿弥陀如来のお救いを讃えるご縁であります。
どちらのご縁も「私たちを見捨てない仏様を讃える大切なご縁」です。
せっかくですから、お墓参りも、お仏壇でのお参りも大切にしたいものです。
普段は一人でお仏壇のお参りをされておられる方も、お彼岸のご縁を活かせばご家族を一緒にお仏壇に向かってもらうための言い分にもなりますよね。
特に、「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、快適になるこの時期に、快適にお墓やお仏壇を通して私たちが生まれさせていただくお浄土という世界を想わせていただきましょう。