
誰もが孤独を抱えることがあるのが人生です。
私たちには、血縁などの関係性がありますが、相手のことを完全に理解することは不可能です。
つまり、表面的には満たされていても、心の中では孤独を抱えていることが多くあります。
そこで、この記事では、私たちの孤独がラクになる考え方について書いていきます。
※仏教のことも書きますが、仏教がメインではありません。
この記事を読むと、孤独がラクになって、よりポジティブな人生を歩むことができるでしょう。
仏様の救いのもとではすべての命が同じ重みです。孤独ではありません
孤独を感じる時こそ浄土真宗という教えを聞いてほしいです。
浄土真宗という教えでは、お経の最後に、
願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国
といただくことが多いです。
「阿弥陀如来という仏様の功徳を、ともに喜ばせて頂き、ともに同じ信心を賜り、ともに仏様の世界へ生まれさせていただきましょう」という意味です。
日常生活では、誰もが孤独を感じることがあります。
しかし、浄土真宗という教えのもとでは誰一人として孤独になりません。
「全ての命が本当は救われていく尊い命だった」と教えていただけます。
人と人が差を見つけて一喜一憂し傷付けあっているからこそ、浄土真宗の教えをともによろこばせていただく時間も大切だと思っているところであります。
目を背けがちだけど、本当は大切にしたい人生の気づき
人生は気付きの連続です。
私たちが成長するためには全てが気づきです。
例えば、「こんな仕事のやり方があったんだ」というのも気づき。
あるいは、「人ってこういう気持ちを考えることがあるんだ」というのも気づき。
意識したら、毎日が気づきの連続です。
その中でも、最も大切な気づきをここでお話しいたします。
それは、
「自分って小さな存在だったなぁ」
「自己中心的な自分だったなぁ」
という気づきです。
自分を大きくみる気づきではなく、小さな自分だったと気付かされていく。
だからこそ、他人への感謝が出てきます。
そんな気づきを大切にして、この人生を生きさせていただきましょう。
実は人生は平等です。不平等という人は真実が見えていない
お坊さんとして活動していたら「人生って不平等ですよね」という言葉を聞くことがよくあります。
「なんで私はこんな貧しい家に生まれたんだろう」
「私は人間関係で本当に苦労しました」
確かに、生きていると不平等を感じることが多いです。
辛いことも多いし、「なんで私だけこんな目に合わないといけないの」って思うことも沢山あります。
ただし、全ての方が平等なところが一つあります。
それは、全ての方が間違いなく命があるということ。
そして、私たちの人生は誰もが例外なく無限の可能性があるということ。命があるという事実は同じです。同じスタートラインに立って生きています。
それでも不平等に感じるのは主観的に感じている不平等マインドでしょう。
誰もが人生には無限の可能性があります。
不平等に目を向けがちだけど、同じ命を持っているという平等さを大切に人生を歩みましょう。
幸せを求めても決して幸せになることはありません
みなさまが驚く大ニュースをお伝えします。
実は、幸せを求めても人は幸せになりません。幸せを求めて、人は地位や名誉や財産を手に入れようとして動きます。
ソクラテスとか、色々な有名な哲学者の方が「生きている意味は幸せになるため」と言っております。
気づいたら、地位や命や財産を手に入れても、「もっと欲しい、もっと欲しい」そうやって、常に求め続けてしまうのが本当の私のすがたです。
だったら、どうやったら幸せになるのでしょうか。
それは、今、生かされていることに感謝することです。
命があることは決して当たり前ではありません。
「本当は幸せの中にいたんだ」
幸せはいつも自分の心がきめる。
この考えを持っていれば、他人の幸せを羨む気持ちも減ることでしょう。
ちなみに、「すでに大いなる救いに抱かれていた」というよろこびを与えてくれるのが浄土真宗という教えでもあります。
新しい視点でラクな人生を。孤独ではなくチャンスの場合があります
飲み会の場もそうですし、初めての場所に参加したら、全員が楽しそうにお話しているのに自分だけ全く会話に入れなくて孤独を感じてしまう時はないですか?
おそらく、そのような経験をされた方が多いと思います。
精神学者の三木清さんは「孤独は山に無く街にある」とおっしゃいました。
みんなが楽しそうにしているから孤独を感じます。
でも、皆さんがもしもそういう初めての場に参加して、会話に入れない時は心の中でガッツポーズしてください。
「やったー!全ての事をインプットできるチャンス!」
それが真実です。
だって、新しい会話ばかりが繰り広げられているのです。インプットしなければ勿体無いでしょう。
そして、不安そうにしている顔よりも、笑顔のあなたの顔の方が間違いなく尊いです。
あなたが笑顔でいれば孤独な気持ちは無くなります。
お葬式は幸せだと気づかせてくれるご縁でもあります
お坊さんとして活動していたら、色々な方々の命のご縁に合わせていただきます。
そのような時に、みなさまのお気持ちを聞かせていただきます。悲しい気持ちや、あるいは安心した気持ちを聞くことがあります。
そのどちらにも属さないある言葉があるんです。
それは「幸せだって気付きました」という言葉です。
愛する方が亡くなった時に、「私はあの人がおって本当は幸せやったと気付きました」という言葉です。
その言葉には、気づけた嬉しさ、そして悲しさもあります。
人の存在が私を幸せにしてくれている。いつもそう気付かされます。
しかし、命を終えたらそれがなくなってしまう。だからこそ、生きている今を大切に。
そう知らされるのもお葬式の尊さです。